1 ビジョンとツールの結合

私にとって、とても大切な本が金森久雄の『大経済学者に学べ』です。金森の主著だと私は思っています。「大経済学」とはどんなものでしょうか。金森は序章で、[「大経済学」とはビジョンとツールとが結合したものである]と定義しています。

これはシュンペーターの言葉です。ビジョンとは[社会状態の基本的な特徴についての洞察であり、ツールとはそのビジョンを具体的な理論に作り上げる用具である]と金森は解説しています。ポイントの適切な抽出とわかりやすい解説がこの本の魅力です。

じつはこの本そのものについて語ろうと思っているのではありません。ビジョンというものについて、考えてみたいのです。ありがたいことに、金森は大経済学者のビジョンがどんなものか、そのエッセンスはこれですよと、この本で示してくれています。

     

2 大経済学者のビジョン

アダム・スミス『諸国民の富』の場合、[労働が富の源泉であるという産業資本主義幕開けの宣言であり、大経済学者スミスが示したビジョン](p.4)であると言えるでしょう。金森は大経済学者のビジョンを極めてシンプルに提示してくれています。

それではマルクス『資本論』の場合は、どうでしょうか。[資本主義の本質が膨大な商品の集まりだ]との洞察が、[資本と労働との対立が激しくなった当時の社会経済の本質についてのマルクスのビジョン](p.4)だというのが金森の解説です。

ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』では、古典派の公準を2つあげ、第2の公準を否定して、[非自発的失業があることが、時の資本主義世界の最大問題であると喝破して、需要拡大による失業の解決に取り組んだ](p.5)ということになります。

    

3 洞察による確信を仮説にしたものがヴィジョン

金森はビジョンを語るときに、「洞察」とか「喝破」したと書いていました。日本では下村治が1950年代に[「日本は勃興期にある」というビジョンを抱いた。そして、このビジョンをもとに下村理論を展開し](p.5)とあります。理論化するのはツールです。

ビジョンは理論ではなくて、その前提になります。金森はシュンペーターの『経済分析の歴史 1』に基づいたようです。シュンペーターは[分析的努力に原材料を供給する分析以前の認知活動]を「ヴィジョン(Vision)」と名づける](p.79)と記しました。

ケインズの一般理論が[イギリスの一知識人の立場から把えられた・老境に入ったイギリスの資本主義の特徴]を基礎にしていて、[これらの特徴がそれに先立つ事実的研究によって確立されたもの]であり[ヴィジョンに外ならない]と書いています(pp..80-81)。

[ヴィジョンの諸要素が][多少なりとも秩序だった図式や構図の中にそれぞれ配置される]、[分析的努力は][ヴィジョンを抱くに至った時に初めて出発する](pp..81-82)のです。洞察による確信を仮説にしたものがヴィジョンだということになります。

*引用は『シュムペーター 経済分析の歴史1』1955年版によっています。

     

     

1 OJT用のマニュアルへの注目

OJTにマニュアルなどあるのか…と思っている人は、たくさんいらっしゃいます。実際に見た方は少数かもしれません。あるかないかというなら、「ある」のです。そのマニュアルを使ってトレーニングをしている組織があります。とはいえまだ少数派です。

しかし少しずつ認識が広がってきているように思います。コロナ前に講座がつくられましたが、最初はなかなか人が集まりませんでした。少し早すぎたのかもしれません。最近はコロナの問題があるにもかかわらず、受講される方がたくさんいらっしゃいます。

組織を支えるのは人ですから、その人たちに力を発揮していただかなくてはなりません。どうすれば、実力をつけてもらえるのか、組織側が本気で考える必要があります。人を育てるノウハウは重要ですから、きちんと記述しておく必要があるのです。

     

2 『チェンジ・リーダーの条件』の目的

『チェンジ・リーダーの条件』の「はじめに」でドラッカーは言います。[今日いかに博識であっても、すでにうまく行っていることをさらにうまく行うとともに、新しいことを学び行うことを続けていかない限り、数年後には陳腐化した存在となる]。

2000年の夏と記述していますから、このときドラッカーは90歳を超えていました。この本の目的として[マネジメントのおもな領域について知ってもらう]というだけでなく、これに加えて[今後とも学び続ける意思を持ってもらうこと]をあげています。

[これからは、仕事と人生の双方において、学ぶことを習慣として続けてもらわなければならない]からです。組織にとって、仕事の仕組みを常に更新するとともに、人材育成のノウハウを蓄積していくことが重要なマネジメントの領域になります。

     

3 マネジメントそのもの

たとえば一番簡単に思える操作を紙のマニュアルで教えることも、不可能ではないでしょう。しかし研修をやって実践したほうが確実ですし、その方が早いはずです。どちらが効果的であるかを考える必要があります。当然、二者択一ではありません。

業務や操作について基本を記述しておくことは不可欠なことです。したがってマニュアルは必要です。記述の仕方は別として必要なことは間違いありません。その一方で、実践が不可欠な分野もあるはずです。必要な領域を決め、ポイントを決める必要があります。

OJTにおいて大切なのは、目的を明確にすることです。どんな目的で行うのかを考えておかなくてはなりません。それだけではなくて、その目的のために、そのOJTで具体的に何をするのか、どこまで習得してもらうのかが大切になります。

目的を明確にすること、目標を具体的に決めること、そのためにどうするのが効果的かを考えることがポイントです。まさにマネジメントそのものといえます。『チェンジ・リーダーの条件』の「はしがき」でドラッカーの言っていることと重なってくるのです。

     

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1 原因と結果の関係

少し前に【シンプルな方法の落とし穴】というブログを書きました。シンプルで機械的な問題解決の方法は、何となく使えるような気にさせます。しかし実際には使えません。問題解決にならないのです。そんな話を書いたら、もっと関連を書けと言われました。

先日のものは、マネジメント思考の欠如だという話で終わっています。たしかに言葉が足りませんでした。今回は少し違う観点から書きましょう。諏訪良武『いちばんシンプルな問題解決の方法』という本では、2つの質問だけで問題解決になるということでした。

1つ目の質問は「その原因を1つあげてください」というもの。2つ目の質問は「その原因が解決できると、その問題はすべて解決できますか?」でした。原因と結果の関係は、それほど明確なものではありません。最初の質問から、いささか無理があるのです。

      

2 洞察を求める質問の条件

原因をひとまず1つあげたのに対して、この原因の解消が、問題の解決につながるかを問うのが2番目の質問でした。「その原因が解決できると、その問題はすべて解決できますか?」という形式の質問ですから、「Yes・No」で答えられます。

原因と結果の関連性が不明確であっても、その次の質問によって何らかの補強がなされるのならよかったのです。しかし関連性の不明確さを残したまま、これでOKかどうかを確認するだけで終わっています。この形式ではたいてい不十分なことになるのです。

定量的に答えられたり、「Yes・No」で答えられる質問から、問題解決を導くのは困難でしょう。洞察を求める質問の場合、どうしても答えが定性的にならざるを得ません。ドラッカーの『経営者に贈る5つの質問』を見てみれば、明らかでしょう。

      

3 ビジョンの形成

「われわれのミッションは何か?」「われわれの顧客は誰か?」「顧客にとっての価値は何か?」「われわれにとっての成果は何か?」「われわれの計画は何か?」というドラッカーの質問に、私たちは「Yes・No」や定量的な答えはできません。

洞察を求める質問の場合、答えを出そうとして考えること自体に意味があります。正解ではなくて、考える視点を提示する問題提起と言ってよいでしょう。このとき適切な答えとなるのは洞察ある答えであり、そこからヴィジョンが形成されることになります。

当てはめれば、何らかの正解が出てくるものは、いわゆるツールというものです。根本を問うものではありません。質問が、自らの存在を問い、自らの進むべき方向を決めることに役立つならば、結局はそれこそが問題解決につながることになるはずです。

たとえば「学校の成績がよくない」という問題を解決しようとするときに、安直な質問はナンセンスでしょう。これは「自社の業績がよくない」という問題と違いはないのです。これに対し、どんな質問を発するかが問われます。質問の質が問われているのです。

      

    

1 タテの質問・ヨコの質問

問題解決というのは、どんな場合でも大切なことです。どういう風に問題を解決するのか、決まった方法があれば楽でしょう。しかし、これ一つで何とかなるといった決まった方法などありません。それで質問形式で解決していこうというアプローチが出てきます。

諏訪良武『いちばんシンプルな問題解決の方法』という本がありました。講演を聞いたことがあります。2つの質問をするだけで、問題が解決するというシンプルな方法が示されています。タテの質問とヨコの質問をするだけでよいということでした。

タテの質問というのは「その原因を1つあげてください」というもの。ヨコの質問は「その原因が解決できると、その問題はすべて解決できますか?」になっています。解決の事例が書かれている150頁たらずの本です。そう苦労なく読めそうでした。

      

2 「学校の成績がよくない」の解決法

裏表紙に問題とその展開が示されています。「学校の成績がよくない」というのが問題です。これは簡単な問題ではありません。大変な問題だと思います。最初の答えが「勉強時間が足りない」というものでした。原因その1は「ゲームに時間を使いすぎる」です。

この本の問題解決法では、「ゲームに時間を使いすぎる」原因を考えていきます。1つあげればよいのです。ただし、「その原因が解決できると、その問題はすべて解決できますか?」に答えなくてはなりません。解決しませんから、別の原因が必要です。

こうやって、原因になりそうなものを思いつくままあげていくことになります。質問はシンプルですが、使い方は簡単ではありません。「学校の成績がよくない」の原因が「ゲームに時間を使いすぎる」とは別に「まじめに授業を受けていない」が上がってきました。

     

3 マネジメント思考の欠落

こうした機械的な問題解決の方法は、シンプルなものであると、何となく使えるような気になります。しかしこの本で「学校の成績がよくない」原因としてあげられたものは、前記の2つの原因に加えて、「受験の危機感が足りない」というものでした。

ゲームをやり、授業をまじめに受けておらず、受験の危機感が足らない場合、たぶん成績がよくないでしょう。この本では、原因を掘り下げていき、全体が見えてきたと書かれています。これが全体とは驚きです。当然のことながら、これでは問題解決になりません。

やる気になる何モノかがあるはずなのです。その点に言及がありません。やる気になれば、行動につながります。行動が重なれば、なんらかの良い兆候は出てくるはずです。しかしそれで問題が解決するかどうかは、わかりません。検証が必要です。

やる気になる何モノかを加えて実行し、それを測定し検証してみるということになります。その際、測定法、評価尺度、検証方法が問題になります。これが標準的なマネジメントの思考です。こうした点が欠落していると、問題解決はむずかしいことでしょう。

      

      

1 マネジメントとは

前回の話は、どうやら詰め込みすぎだったようです。マネジメントの勉強会をすることになりました。直接話しながら、もう一度わからないところがどこなのか、どう伝えればよいのか、本人に聞くしかありません。いっぺんに語ろうと思ったのが間違いでした。

「マネジメント」というのは、【組織あるいは個人が、より成果をあげるための考え方と行動の指針】です。ここにいう「成果」とは【良い結果】のこと。より良い結果を出すために、どう考え、どう行動したらよいかを教えてくれるのがマネジメントといえます。

良い結果という場合、「良い悪い」の評価が問題です。どうやって決めるかといえば、個人の良心に従ってということになります。あるいは組織の社会的な意義を考えてということになるでしょう。価値評価が入りますから、どうしても主観的になります。

     

2 マネジメントの目的

組織の目的・ミッションを考えるときに、主観的になるのは、どうありたいかという価値観が入るからでした。結局のところ、こういう組織があってよかった、あなたがいてくれてよかったと言われるようにすることがマネジメントの目的だと言えます。

こうした目的・ミッションは、気持ちはあっても、簡潔な形式にまとめるのは簡単ではありません。一番の中核となるものは何かを考え続けることになります。このとき簡潔な形式で示されたミッションが、行動の指針になるかどうか、これが適切さの判断基準です。

ドラッカーが『経営者に贈る5つの質問』で例示した救急病棟のミッションはこの点で優れたものでした。「患者の安心」をミッションとするため、[運び込まれた患者を1分以内に診る]という行動の指針がでてきます。早さが安心につながるということです。

    

3 金銭目標以外のもの

目標の設定について、特別考えなくてもわかるという人もいるでしょう。多くの場合、売上の目標や利益の目標が設定されます。定量化されていますし、客観的な評価基準になるものです。逆に、なぜ売上や利益が目標になるかと言えば、客観的な指標だからです。

客観的な指標の条件として、3つを上げていました。(1)測定方法、(2)測定尺度、(3)評価基準が必要となります。この点、売上や利益は条件に合っているのです。なかなかこうした便利な指標はありませんから、どうしても金銭の尺度を使うことになります。

さきの「患者の安心」というミッションから、[運び込まれた患者を1分以内に診る]という指針が出てきていました。1分という時間は容易に測れます。時間という尺度なら客観的です。安心のためには1分以内が良いという評価基準が示されたのでしょう。

病院の場合、一般の会社とは違います。しかし会社でも、金銭目標以外のものを見いだしたいものです。そのほうが組織も活性化することでしょう。簡単なことではありませんが、客観的で適切な基準を示せる組織は、強い組織だと言ってよさそうです。

     

      

1 読んでもわからなかったとの訴え

リーダー候補の若者から、どうやって勉強したらよいのかと聞かれました。この話は、少し前にブログにも書いています。この時、おすすめの本としてドラッカーの『経営者に贈る5つの質問』もあげていました。ところが読んだけれども、わからないとのこと。

『経営者に贈る5つの質問』はドラッカーの晩年に作られた簡潔なワークブックです。薄い本ですし、よく読めばわかるだろうと思ったのですが、簡潔すぎて説明不足の点があります。基礎となるマネジメントがわからないと、この本はわかりにくいでしょう。

あまり意識しないで薦めてしまいました。反省するしかありません。あとでテキストを作るからと伝えておきました。そういえばドラッカー自身、自分の本は大学生でも難しい、『エクセレントカンパニー』のような本とは違うと語っていたはずです。

      

2 「目的・目標・手段」の3段階の原則

すでに[ドラッカー『経営者に贈る5つの質問』に対するささやかな注釈](その1・2・3)を書いていました。分量が多いこともさることながら、若者にはこれでは通じないでしょう。もっと基礎的なところがきっちり伝わるように説明する必要があります。

事をなすときに目的・ミッションを決める必要があり、それを具体化し、明確化するのが目標です。それに対して、目標達成のためにどういう仕組みで実行するのか…ということが手段になります。このように目的・目標・手段の3段階で考えていくのが原則です。

この3段階それぞれに判断基準があります。目的を決めるときは良心に従って「主観的」に、目標の設定の場合、定量化をして「客観的」に決めるのです。手段を決めるときには「合理的」かどうかが判断基準になります。さて、どう伝えたらよいでしょうか。

      

3 「目標」の理解がポイント

ミッションの検討には、『経営者に贈る5つの質問』の大病院の救急室の事例が参考になります。「患者の健康」ではなく「患者の安心」がミッションです。このミッションから、[運び込まれた患者を1分以内に診る]という行動の指針が生まれます。

ミッションはこれで検討できるでしょう。一番問題になるのは目標の理解です。客観的な基準を作るには、測定が問題になります。実行の状況を測定して、目標と比較することが目標管理です。(1)測定方法、(2)測定尺度、(3)評価基準が問題になります。

例えば心臓の状態を測定する「エコー検査」と「BNP検査」があります。エコー検査は、(1)超音波で、(2)心臓の動きを目視し、(3)正常な心臓の動きと比較。BNP検査は、(1)血液検査で、(2)心臓から分泌されるホルモン量を測定し、(3)正常値と比較します。

このような測定によって状況が把握できれば、いつまでにどの水準までを狙うかの目標が決まるでしょう。目標を客観的に決めるには、測定が問題になります。これが難しいところです。適切な測定ができる人なら、手段の合理性を判断することは可能でしょう。

       

      

1 リーダーへの期待の切実さ

メーカーやサービス業の人たちと話していると、リーダー個人への期待が切実になってきているのがわかります。異例の人事がもはや異例でなくなってきました。教え子がまた抜擢人事の対象になっています。その際の自由裁量の大きさにも驚きます。

ある領域の業務全体を任せるというのです。思い出すことがあります。『クオリティ国家という戦略』で、ブランド時計「タグ・ホイヤー」のジャック・ホイヤーは、セイコーの再生をどうしたらよいかと大前研一に問われて、「私を雇えばよい」と答えたのです。

▼ブランドを維持するためには、1人のプロデューサーがいればよい。ところが、それをセイコーは組織でやろうとする。セイコーに時計を作る職人は大勢いるが、ブランド・マネージメントの職人はいない  p.58 『クオリティ国家という戦略』

     

2 「好きにやっていいなら、ずっとよくなる」

小室直樹は『経済学をめぐる巨匠たち』で、[一人の天才的英雄が、その企業家精神、先見性や独創性、決断力や実行力によって牽引し]た革新的な企業が官僚化するとのシュンペーターの洞察を紹介しています(p.169)。日本企業にも、その傾向があるのでしょう。

シュンペーターのイノベーション理論は『経済発展の理論』第二章にある通りです。その後の展開を『資本主義・社会主義・民主主義』に記しています。日本では「一人の天才的英雄」でなく、部門のリーダーへの期待ですが、個人に期待する点では同じです。

改善への期待だけでなく、もっと大きな変化への期待があります。「好きにやっていいなら、もっとずっとよくなるのに」という声を、今まで聞いてきたはずです。一部の組織、どちらかというと小さな組織では、小さな改善では間に合わなくなってきています。

     

3 リーダーの養成競争

従来なら、アウトソーシングする会社の方が、アウトソーシング先よりも収益が上がるはずでした。ところが業務の仕組みの違いから、収益性が逆転している現象もみられます。この点、昨年後半から人手不足が顕著ですから、優秀な人材に期待するしかありません。

面白い時代がやってきたと思います。サービス業の場合、高品質のサービスを提供するのは若手が中心です。この人たちへの待遇の悪さはぞっとするほどでした。ここへきて中核メンバーがごっそりがいなくなりそうな組織も、いくつか出てきています。

メーカーでも国内に付加価値の高いものを集中させるために、海外への工場建設を進めている会社がいくつもありました。何でこんな時期に中国に工場を建設するのだという、誤解に基づく批判もあったそうです。国内製造の高度化が急速に進んでいます。

天才的なオーナーの養成は簡単にはできそうにありませんが、飛びぬけたリーダーなら、じっくりやれば養成可能なはずです。大勢の人を雇用できない、少数精鋭となるしかない状況下で、リーダーの養成競争が起こるのではないかと、期待しながら見守っています。

       

      

1 学者から全く評価されていないドラッカー

アメリカでは、ドラッカーはあまり読まれていません。こんなことは、あたりまえだという人もいるでしょう。ところがウソでしょうと言う人もいるのです。経営学者という範疇には入りませんから、経営学ではドラッカーに言及することはないでしょう。

野田稔が『実はおもしろい経営戦略の話』で、ドラッカーが[現代の経営学者たちからは、全く評価されていません]と書いているのは当然のことでした。[その理由を彼らは、「ドラッカーは何も証明していないから」と言います](以上、p.30)。

▼現代の経営学における証明とは、先にも述べた統計学的に有意であることを明確に示すことにあります。細かい命題ごとに統計学的な有意差があるかどうかの証明が大切にされているのです。 p.30 『実はおもしろい経営戦略の話』

      

2 実践の場で役に立つ経営哲学

それでは読む価値がないのでしょうか。日本では読まれています。読む価値があるからです。一方、アメリカでは読まれていませんから、読む価値が見いだせないのかもしれません。経営学における証明がなされているかを重視するかどうかなのです。

野田稔は言います。[ドラッカーの主張は現代の経営学者が定義する経営学ではないかもしれませんが、実践の場で役に立つ経営哲学であることは紛れもない事実です](p.30)。では、もっと具体的にどんな点を評価しているのでしょうか。

[企業の社会的役割を「顧客の創造」と定義]した点が[ドラッカーの数ある経営思想でもっとも有名で、なおかつ重要な部分](p.31)と評価しています。これが欲しいと感じさせる新しい価値を提供して、顧客を生み出すことが顧客の創造です。

      

3 証明の前提条件

ドラッカーは晩年になって、「顧客の創造」という概念を、企業の社会的役割あるいは目的に限定することを放棄しています。非営利組織でも、そこで提供されるものが必要だという人が存在しなくてはいけなくて、その人たちも顧客だと言うようになりました。

したがって、営利組織の目的だけでなく、非営利組織の目的として「顧客の創造」が位置づけられたのです。組織の目的あるいは社会的役割となりました。『経営者に贈る5つの質問』が、『非営利組織の成果重視マネジメント』をもとにしているのは象徴的です。

営利も非営利も、組織の経営の基本に顧客の創造があります。この点、統計学的に有意だと証明する必要はないのです。もっと根本的な概念というべきでしょう。ドラッカーは古くならないのです。統計的に有意だという証明は時代が変われば無効になります。

ドラッカーは経営哲学者でした。直接的、具体的な提言を引き出そうとするのは馬鹿げています。すぐれた経営書である『イノベーションのジレンマ』と『イノベーションと企業家精神』のどちらを繰り返し読むでしょうか。後者だという人が多くいるはずです。

     

      

1 料理のレシピと業務マニュアル

業務マニュアルのサンプルとして、料理のレシピを使って説明することがあります。料理のレシピは、料理の手順を記したものです。準備をするために必要な材料一覧もありますし、料理を作ることを業務と扱ってもおかしなことにはなりません。

料理が好きな人ならば、料理レシピを見れば、どの程度の料理になるか、ある程度予測がつくはずです。プロになるとレシピを見れば、それを作った人のレベルがわかるということでした。料理というのは実践して初めてわかるというものではないようです。

これは普通の人では無理なことでしょう。しかしプロの場合、頭の中に基本的な食材の味が思い浮かんで、組み合わせのシミュレーションができてしまうようです。ときどき画家が、あちこちに置かれたモチーフを絵の中で組み合わせてしまうのと似ています。

       

2 料理しなくても結果がわかるプロ

『池波正太郎の食卓』で和食の近藤文夫は、天ぷらの「ズッキーニの生湯葉射込み」について、ズッキーニなどの[瓜というやつは相手が難しいんだ。ああでもない、こうでもないと相手を考え続けて、生湯葉にたどり着くまでに三年かかったよ]と語っていました。

実際に揚げてみたわけではないのです。[考え出すまでに三年かかったというが、実際に揚げたのはこの日が初めてというから驚く。寝ても覚めても頭の中で考え続け、何十何百という組み合わせを一つ一つ消去していったそうである]と佐藤隆介は書いています。

これは本物のプロのケースです。佐藤は近藤に尋ねます。「考えただけで、実際に揚げてみるまでもなく、結果がわかるの?」。近藤の答えは「そりゃ、わかりますよ」でした。たぶん他の分野でも、プロかどうかの判定基準になります。

      

3 業務構築の目標

業務の構築や改善、改革の場合、業務の記述からスタートしなくてはいけません。それをもとにして、あれこれ考えて、その一番確実に成果をあげるシンプルなカギを見つけることが重要になります。それを繰り返すことが一番効果的です。

業務構築のプロになったならば、検証しなくても、かなりの確率で成果をあげる仕組みを見出すことが可能になるのでしょう。料理ほど確実ではないはずですが、何度も業務の構築や改革を行っていると、これはうまくいくというのが見えてくるはずです。

料理のプロである近藤文夫も実際に何度も料理をすることによって、頭の中でシミュレーションできるようになったのでしょう。業務はもう少し複雑なものですが、目指すべき方向、目標は同じです。そのためにも業務の仕組みを繰り返し考える必要があります。

      

       

1 切れ味鋭い抜本的な改革案

改革を行うときに、現状を重視することは原則と言ってよいでしょう。これが原則になることは実際の案を出した人ならわかるはずです。優秀な人が、ときとしてすごい改革案を提案することがあるのに対して、守旧派と言われがちな人が出てきます。

守旧派というのは、ある種の流行になりました。ところが切れ者と言われる人ほど、こけることがあるのです。実績を積んできた人は、どちらかというとどんくさい改革を行います。切れ者の案を、にこやかに否定する姿は、反対側から見ると守旧派に映るでしょう。

しかしこのあたり、もはや勝負がついています。現状からスタートしない、切れ味鋭い抜本的な改革案はしばしば挫折してきました。話題になった改革が、その後どうなったのか、知っている人もいるでしょう。なんでこうなるのか、不思議かもしれません。

       

2 ヒュームの理性万能主義批判

現状からスタートして、何だか冴えないところから小さく始める人は、経験からわかっているのです。こちらのアプローチの方が成果があります。人間の集団が新たな行動をするときに、すべてを予測することは難しいのです。これは歴史を見ればわかります。

イギリスのデービッド・ヒュームについて、渡部昇一が『歴史からいま何を学ぶか』で語っています。ヒュームはフランスで革命が起こることを予測しました。そして「理性万能主義者」が理屈を考えて革命を起こすだろうから失敗すると主張したのだそうです。

ヒュームは、理性が万能ではない以上、正確なプログラムは書けないはずだと考えました。[知性にすべてを委ねることはできないとヒュームは考えたらしいのです](p.19)。[イギリスの歴史ぐらい理屈に合わない歴史はありません]と渡部は語っています。

       

3 大筋を決めて逐次修正

理性に頼って、改革案を描いても、その通りに行かないとしたら、どうするのが改革につながるのでしょうか。イギリスの場合、[一つ一つどんなに小さいことでもいいから具体的に今持っている個人の自由が拡がることをやろうとした](p.23)ということです。

これは業務改革の基本ともなります。まず具体的に、これはよいはずだと思えるところから、小さく変えていくのです。この方が成果が出ます。実際の歴史を見ても、イギリスのほうが先に議会制度を導入することになりました。歴史の教訓と言ってよいでしょう。

渡部は[大筋を決めて、逐次修正してゆく。そして具体的にいいものを守ってゆく―これが一番いいやり方であるというのが]ヒュームの考えだったと言います。常識「コモン・センス(common sense)」を働かせることが大切だということなのです。

センスというのは[知識という意味は全然含まれておりません。これは判断力という意味です](p.28)。コモン・センスとは[“それがなければ、馬鹿であるような”とイギリスの辞書に書いてある]そうです。つまり確実な一歩が大切だということになります。