1 中核になる第七章

北原保雄の『日本語の文法』第七章「主題をめぐる問題-「は」と「が」-」は、この本の中核になる部分です。フランスの小学生が文法分析をするように、日本語の文章を分析できるシンプルな文法ができたらと、北原はこの本のはじめに書いていました(p.8)。

しかし「主語-述語」関係をもとに日本語文法を構築するのは妥当でないと、北原は考えます。[主語は日本語の文法論にとっては無用]であり、[主題をめぐる問題について考えてみること]が必要になるというのが、第六章を締めくくりの文章でした(p.240)。

第七章の題にあるように、「は」と「が」は違うという話です。「海は広いな大きいな」と言えても、「海が広いな大きいな」とは言えないとの指摘があります。「~は」が主題を表しているのです。これは三上章の見解でもありました。これを踏襲しています。

      

2 三上章の見解

三上の見解は[平叙文のかなりの部分は、あるモノ(something)について、あるコト(something)を述べている。このあるモノをtopicと言い、残りの部分のcommentと言う]というものです。この三上の見解のエッセンスを北原は引用しています(p.244)。

「昨日は、雨が降った」ならば、「昨日」がtopicであり、「雨が降った」がcommentです。しかし「昨日、東京は雨でした」の場合、「昨日」がどう扱われ、「東京」がtopicになるのか、北原の説明だけではわかりません。このあたりが問題です。

北原は「「は」は「の」を代行しない」という見出しを掲げ(p.247)、三上の主題化についての見解とは違った考えを示します。「象は鼻が長い」に関して、三上は「象ノ鼻ガ長クアルkoto」の主題化だと言い、北原は「象ガ鼻ガ長イkoto」の主題化だと言うのです。

      

3 「「は」は「の」を代行しない」

別の例文から、北原の「「は」は「の」を代行しない」との見解を確認しましょう。例文「かき料理は、広島が本場です」の主題化について、三上は「広島がカキ料理の本場であるkoto」とするのに、北原は「かき料理で広島が本場であるkoto」だと考えます。

北原の主張の根拠は、[連体の「の」が連用の「は」によって代行されるということは、重大なことである](p.249)からです。つまり[連体から連用へと転換してしまう]ような[代行が認められるためには、それだけの論証が必要である]とのこと(p.248)。

しかし[自然であり、落ち着きも悪くない]のは三上の「広島がかき料理の本場である」の方です。論証の参考になるのは、「の」が[超論理的な連帯関係を表示する助詞であり][いろいろの格助詞の「代行」をしうるもの](p.250)との北原の見解でしょう。

例えば「子供の成長/朝顔の観察/六時の起床」は、「子供が成長/朝顔を観察/六時に起床」することの代行です。「は」「の」には共に代行機能があり、より強い機能を持つ「は」が、「の」の代行を担います。北原は連体・連用を意識しすぎたようです。