1 19世紀の成文憲法の普遍化

5月3日は憲法記念日でした。日本国憲法が1946年11月3日に公布され、翌年の1947年の5月3日に施行されています。これより50年以上前の1889年2月11日に、大日本帝国憲法が公布され、1890年11月29日に施行されました。いわゆる明治憲法です。

かつて憲法の教科書として佐藤幸治の『憲法』が有名でした。全体をきちんと読んだわけではありませんが、第一編の第一章「憲法の基本観念」の中の見出しにあった「成文憲法の普遍化」の記述は印象に残っています。こんな風に書かれていました。

▼18世紀末のアメリカおよびフランスにおける成文憲法の制定は他の諸国にも強い刺激となり、19世紀に入ると国家という国家のほとんどが成文憲法を制定するようになった。君主国とて例外ではなかった。かかる現象をとらえて19世紀は「憲法の世紀」とも呼ばれることがある 佐藤幸治『憲法(第三版)』 p.7

      

2 欧米中心の視点

1995年の文章です。おそらく今では、こうした記述はしないでしょう。「19世紀に入ると国家という国家のほとんどが成文憲法を制定するようになった」とあります。成文憲法を制定した国家は、少数でしょう。ヨーロッパのという限定を入れる必要があります。

1801年から1900年までが19世紀ですから、1890年に施行された大日本帝国憲法も19世紀に成立した憲法の一つです。佐藤も[大日本帝国憲法もかかる系譜に連なるものである](p.7)と書いています。東アジアでは、はじめての近代憲法でした。

1900年当時の世界はどうだったのでしょうか。欧米以外で独立していた国は、6か国でした。日本、朝鮮、タイ(シャム)、アフガニスタン、オスマントルコ、エチオピアです。こんなことを記憶していると、佐藤の記述には違和感を感じることになりました。

     

3 憲法典の成立後に近代言語が成立

いずれにしても18世紀の末にアメリカ、フランスで近代的な憲法典が作られて、それが他の国へと広がっていったということは間違いありません。イギリスの場合、例外的に[憲法典という形式をとって存在していない]と佐藤は書いていました(p.18)。

イギリスには、マグナ・カルタや権利章典以降の歴史がありますから、憲法典がなかったとしても先進的だったと言ってよいのでしょう。権利章典は1689年に制定されたものでした。実質的な近代的な憲法概念が成立したのは、18世紀になってからでしょう。

ここから文法の歴史へと連想が働きます。憲法が文法体系の整備に先立つもののようです。英文法を確立したとも言われるマリー(Lindley Murray)の文法書が出たのが1795年でした。近代国家の体制が出来てから、近代的な言語が成立するということです。

フランスでも、1789年の革命時にフランス語が話せた人は半分以下だったともいわれています。日本語が近代化するのは、大日本帝国憲法よりもずいぶん後のことでした。「憲法の世紀」のあとを追って、「近代言語の時代」がやってきたということなのでしょう。