■アナログ的な読み書きという行為:電子化とのバランス

     

1 漢字が読めなくて驚く

手書きが好きなほうだと思っていましたが、知らないうちに、パソコンで入力する方が圧倒的に多くなってきました。パソコン入力のほうが早くて、保存も簡単なため、あとの利用も楽です。文章や記録をつけるときに、パソコンなしということは考えられません。

しかし驚くべきことが起きています。漢字が書けなくなったのです。それだけではありません。突発的なことで戸惑ったのですが、先日、漢字の読みがでてきませんでした。当然、意味は解ります。読み方もわかっていたはずでしたが、発音できなかったのです。

タイムラグがあって発声ができたのですが、そのとき「疲弊」が読めませんでした。なぜか別の音が最初に思い浮かんで、それが違うとわかっていて、「ひへい」がすぐに言えなかったのでした。画面で文字を読みすぎたと、そのとき感じました。

      

2 実行しないと出来なくなる

文章を手書きしなくなると、漢字が書けなくなると感じる人は、かなりいるようです。そこまでは、ある種の共有されたことでした。しかし画面で文章を読んでばかりいると、音読するときに支障がでてくると言ってよいのかどうか、この点はわかりません。

一般的には、ある行為をしなくなると、だんだんやりにくくなってくるものです。ここまでは言ってもよいでしょう。発声しなくなったら、発音できなくなったと感じたのも、こうした単純な感覚によるものです。あとは実践して検証するしかないでしょう。

おかしな方向に行っていると感じたときに方向転換することは、正攻法と言ってもよいことです。そんなにおかしなことではないでしょう。これは小さなことではあっても、警告かもしれないと思い始めました。どうしたらよいのか、まだ結論は出ていません。

      

3 紙マニュアルに戻した事例

今や、ビジネス文書のほとんどがデジタル化されたものになっているはずです。操作マニュアルも、業務マニュアルも、紙の文書ではなくなって、電子化されたものになってきています。しかし、全部が電子化されたものにはならないはずです。

実際のところ、紙のマニュアルをタブレットに入れて携帯するほうがよいと考えて、紙から電子のマニュアルに替えた工場がありました。直後から、変化が起きたそうです。利用が激減したということでした。大あわてで紙のマニュアルに戻したとのことです。

紙という物体があって、内容がページごとに記されています。ここに自分なりの印をつけたりして、いわゆる「自分のもの」にしていくのです。使っているうちに付箋がついてきたりします。自分の欲しい情報は、このあたりとさっと開けるようになってくるのです。

アナログ的な使い方のほうが、実際のところ、なじみやすいようでした。こんなことを知っているからか、読み書きをデジタル依存にしすぎるリスクを感じました。紙に書くときのルールを考えているところです。紙のマニュアルに戻した話が心に響いています。