■『日本語の世界 第6巻 日本語の文法』を読む 第8回

     

1 「は」の本義

北原保雄『日本語の文法』第七章「主題」では、「は/が」と「既知・未知」についても論じます。その前提となる「は」の本義を北原は、「とりたて」としました。[他のものは、いっさいかえりみずに、絶対的にとりたてられている](p.264)のです。

「は」を解釈する場合、この本義と文脈から解釈するのが王道でしょう。「は=既知」「が=未知」との説明は不明確です。例えば「あなたのお嫁さんは私が見つけます」の場合、まだ見ぬ「あなたのお嫁さん」が既知、知り合いの「私」が未知なのでしょうか。

「主題」の概念も明確ではありません。「私は週末には…」の場合、「私は」と「週末には」が[主題にも対比にもなる]とのこと。一方「今日は私は行かない」の場合、[最初の「は」は対比で、二番目の「私は」の「は」が主題](p.267)とのことです。

      

2 主題と対比の二つの用法

北原によれば、[「は」には主題と対比との二つの用法がある]らしく、前記のような絶対的なとりたてが主題になり、[対比される有限特定のものの中からの取り立て(つまり、取りたてられないで残されたものが問題になるもの)が対比](p.264)となります。

「対比される有限特定」の概念が混乱を起こすようです。おじいさんとおばあさんがいて、「おじいさんは」と「おばあさんは」になるのが対比なのでしょう。これは文脈依存の発想です。「おじいさんは」のセンテンスだけで説明すれば足りることでした。

北原は、久野暲の文章を引用します。[一つの文には、ただ一個の主題しか現れえない。もし一つの文の中に、二つあるいは、それ以上の「ハ」が現れる場合には、最初の「ハ」だけが主題を表し、残りは対象を表す](p.265)。明確性の点では、優れています。

     

3 明確性に問題がある主題概念

ひとつのセンテンスに主題が1つ出現し、それが機械的に決定できるものなら楽ですが、そう簡単にはいきません。久野はのちに、センテンスに複数の主題がありうると主張を変えています。さらに北原は、最初の「は」が主題になる点をも否定しているのです。

日本語の文における主題概念は、一般人を基準にすると、とても使いこなせるものではありません。主題概念が不明確なままに、これまた明確性で問題のある既知・未知を絡めての解説はお手上げになります。主語概念と同様に、主題概念には問題がありそうです。

英語でも主語・述語とは別に、「topic-comment関係」(シーム:themeとリーム:rheme)を使うことがあります。概念は明確です。シームは文頭の語句、残りがリームになります。ただし文法とは別扱いされ、情報の流れをみるツールとして使われているのです。

日本語の主語は、欧米言語のものと違っています。そのため主語が否定されました。多くの学者が、主語の代わりに主題概念を日本語文法に導入しています。しかし明確でシンプルな文法体系を構築することには成功していません。北原も苦労しています。