1 金森久雄による「大経済学者」認定

高橋亀吉というエコノミストをご存じでしょうか。ほとんどの人が知らないようです。金森久雄が『大経済学者に学べ』の中で、取り上げています。日本人で大経済学者とされたのは下村治と高橋の二人だけでした。金森は、高橋の系統のエコノミストと言えます。

金森の評価は[高橋の経済学は経験主義的であるが、下村理論は演繹的である](p.132)とのことです。下村は石油危機が起きた時、ゼロ成長論を唱えました。[経験派の私は現実を観察した結果、下村の演繹論に対して反対をした](p.132)とのこと。

金森は[下村に、「最も尊敬する経済学者は誰ですか」と尋ねたことがあるが、彼は、「外国ではハロッド、日本では高橋亀吉である」と答えた](p.132)と書いています。かつて高橋亀吉という人は、どこか圧倒的な人だという感じを与えていました。

     

2 高橋亀吉『私の実践経済学』

高橋の主著を一つに絞るのは無理ですが、『私の実践経済学』は外せないでしょう。[48年末の石油ショック以降]の[経済の現状診断、その前途観、そしてこれに処する対処等において]高橋の見方は少数派でしたが[はるかに真実に近かった]のです(はしがき)。

そのため[私流の経済診断の着想やカンや秘訣と言ったものは、いったいどこから生まれるのか、そのツボやコツは何か?]という質問に答えるために、この本は作られました。すでに結果の出ている時代のあれこれを素材にして語られているのが貴重です。

[経済は常に変動している]ので、それを[一時の「変態」とみるか、構造的「変化」とみるか]がポイントになります。変化ならば、抑えたり戻したりせずに[変化した方向に展開さすべき]であり、その立場で診断し処方箋を書かねばならない(p.25)のです。

     

3 お手本になる高橋の方法

『私の実践経済学』は高橋が亡くなる前年に出版されたものでした。この本についての最高の解説書は金森の『大経済学者に学べ』です。上記の変動についての部分を引用して、高橋のビジョンは[「経済は変化し、発展する」というもの](p.133)だと記します。

このバリエーションが高橋の本のメインテーマです。たとえば[景気変動が、単なる景気循環的なものなのか、それとも経済の成長そのものが構造的に上昇傾向に転じたのか](p.90)を問うています。これは今後も使えるでしょう。高橋の本はまだ現役なのです。

金森は高橋について、『大経済学者に学べ』で「世界最良の理論をかぎわける力」という見出しを立てました。[高橋経済学の特色は、優れた理論の裏づけがあることだ]と言い、[ケインズ理論をいち早く吸収し、日本に適用した](p.129)点を指摘しています。

同時に[歴史の利用の仕方が前向き]だというのも大切なポイントです。[過去の知識をもとにして、現在それがどの点で違っているかを認識し、新しい見方を出すというのが高橋流であった](p.128)と金森は評価しています。この人の方法は私のお手本です。

     

     

1 西堀栄三郎推奨の方法をシンプル化

実務で活躍している人たちとお話しているときに、一番簡単で効果的な問題解決の方法というのは、どういうものかと聞かれたことがあります。新型コロナの感染が拡がるよりも何年か前のことです。しかし「一番」というのは、そう簡単に決められません。

たまたま西堀栄三郎の話が出たり、ビジネスで成功した人の話が出たときのことでした。そこに共通の発想があるという話をしていたはずです。それが妙な展開になったのでしょう。西堀はデータをグラフ化して、類似のものを探す方法を推奨していました。

西堀の話は、何度か書いています。たとえば最近のものだと、【西堀栄三郎から学ぶために:『ものづくり道』の「現場にあるアイデア」】をご覧ください。以前に話したのは、これよりももっと簡単にした方法です。グラフ化をする必要がありません。

      

2 問題分析の前提となる3ステップ

原因と結果を探すだけです。原因と結果の関連性をきっちり証明するのは、厳密に言うと、相当困難だろうと思います。しかし、目的は問題の解決です。問題が解決したら、正しかったのだと判断すればよいでしょう。簡単な方法は、このくらいアバウトです。

まず第一にすることは、問題が何かを明確にすること。これもありふれたことでしょう。難しいことをする必要はありません。シンプルな一文にできたら、それで問題が明確になったことになります。次にすべきことは、思い当たる原因を上げていくことです。

問題が起きたのは、これが原因でないかということを列記していきます。これが第2のステップです。この列記したものに対して、原因を解消できそうなものを書いていくことが第3のステップになります。ここまでが、問題の分析の前提段階です。

     

3 一番簡単で効果的な問題解決の方法

ここまでで、「問題はこういうこと、こうなった原因で思い当たるのはこれら、それぞれの原因を解消する方法はおそらく、これだ、あれだ」…という記録が出来上がります。これを、どんな順番でチェックしていけばよいでしょうか。これも簡単な話です。

まず、原因の解消につながると思わせるものを、大雑把に3つに分けます。楽に確認できるもの、少し面倒なもの、相当手間のかかりそうなものに分けるのです。楽に確認できるものは、さっさと確認してしまいます。ここで解決してしまったら、ラッキーです。

もし解決しなかったら、可能性を予測して検証の容易さとの兼ね合いで、チェックの順番を決めていきます。たったこれだけなのです。いつも解決するわけではありませんが、ある程度わかっている領域についての問題なら、この程度でも効果があります。

話を聞いた人たちは、楽な方法だと言い、たぶん似た方法を採っていたと思うとのことでした。意識的に仕組みにしてしまうと、楽ですね…とのこと。だからその場では、ひとまずこれが一番簡単で効果的な問題解決の方法だということになりました。

       

      

1 英語教師へのメッセージ

英語を習いたい人向けの本はたくさんあります。ところが、教える側の人がどんな勉強をしたらよいのかについて、具体的に書いた本はあまりないようです。その種の本を何冊か見つけましたが、どんな本を読めばよいのかといったことまでは書かれていません。

しかし、そうした本を読んだことがあったのです。しばらく思い出せずにいましたが、あっけなく見つかりました。黒田龍之介『ぼくたちの英語』です。専門はロシア語のはずですが、5年間、大学で英語を教えていたとのこと。だんだん思い出してきました。

[この本は、中学校や高校で英語を教えている教師に向けられた、一つのメッセージである]と扉にあります。中学や高校の英語教師はどんなことを勉強しておくべきなのでしょうか。日本人が日本語を勉強するときに、参考になるかもしれないと思いました。

       

2 石黒昭博『総合英語フォレスト』を通読すべし

文法というの[まとまった体系である]から、[体系として英文法をきちんと捉えているだろうか。まずは英語教師自身が確認しなければならない]ということになります。ではどうすべきか、[そのためには、文法書をまるまる一冊読み通すといい]のです(p.94)。

このときの一冊として、石黒昭博『総合英語フォレスト』をあげています。以前、知人の英語教師に、おすすめの一冊を聞いたところ、この本を即座にあげていました。定番の本のようです。しかし[隅々まですべて読み通した人は少ない](p.95)のは当然でしょう。

[『フォレスト』では、はじめに簡単な構文論があり、文の種類や文型などの説明がある。英語は文型と語順が大切なので、まずはここから押さえてもらいたいというのは、当然だろう](p.95)とあります。何を確認すべきか、一番の基本がわかるでしょう。

      

3 一冊を徹底的に読みこむ

通読後も[ときどきリファレンスすること]が必要です。(1)石黒昭博『総合英語フォレスト』、(2)江川泰一郎『英文法解説』について、[まず『フォレスト』を見て、詳しく調べたいときには(2)『英文法解説』](p.185)が[王道である](p.186)とのこと。

▼「一冊を徹底的に」という方法は、受験勉強などで奨励されるが、実はプロ向きの勉強方法である。つまり、こういう高度な芸当はプロを目指している人にしかできない。一般の受験生にはむしろ酷であり、結局は挫折して敗北感が残るだけである。 p.186

基礎を身につけるには、一冊を徹底的にというのは王道でしょう。英語の教師は、これをきちんとやってプロになるべきだということです。英語に限りません。各分野に定番の基本書がありますから、それらを徹底して読むことが必要になるでしょう。

経営学の定番の教科書がないという話も聞きます。日本語文法の場合も、定番の基本書はありません。英語教師が学ぶべき一冊がどんなものか、確認のために通読するしかありません。黒田がよいという本ですから、間違いないはずです。私の宿題になりました。

    

    

1 正統派でわかりやすい論文の本

国際政治史の斉藤孝は、『学術論文の技法』を1977年(改訂版1988年)に書いています。はしがきに[この小さい書物]とあるように、本文は160ページ程度の本です。初めは大学院生向けのメモだったようですが、それが発展して本になりました。

学生の論文を審査するうち、[論文のルールというものについて私なりの理解が出来上がってきた]とのことです。1973年にエディタースクール夏期講座で「論文の書き方」の話をしたものが基になっているためか、わかりやすい文章で書かれています。

しかし内容はきわめて正統派のものです。その方が、かえって我々の参考になります。論文とは[自分の研究で得た結果を報告し自分の意見を述べたものであり、それによってその学問分野に新知見をもたらすものである]との八杉隆一の定義を引用しています。

      

2 研究論文と言える条件

八杉の定義をさらに具体的に理解するために、斉藤は反対側から説明することになりました。オードリー・ロスの本(Audrye J.roth,The Research Paper,1966)から借用した[研究論文といえない]ものがどんなものであるか、5項目で示しています(pp..7-9)。

▼研究論文と言えないのは次のようなものであります。
(1) 一冊の書物や、一篇の論文を要約したものは研究論文ではない
(2) 他人の説を無批判に繰り返したものは研究論文ではない
(3) 引用を並べただけでは研究論文ではない
(4) 証拠立てられない私見だけでは論文にならない
(5) 他人の業績を無断で使ったものは剽窃であって研究論文ではない

[学術論文とは、自分の研究の結果を論理的な形で表現するもの]であって、文章では[なるべく修飾語を使わないことが論理的表現のための出発点]、[形容詞或いは修飾語を除いた形で文章を組み立てるという所から始めなければなりません](pp..9-10)。

      

3 王道を行く論文作成過程

斉藤は実際の経験から、[ある程度研究を進めてみて初めて設定すべきテーマがわかるという場合が多い](p.22)と記します。さらに論文の作成でも、[研究しながらテーマを次々絞っていき、しかもこの間に文章化がすすめられる過程](p.25)が続くのです。

[テーマの決定とは、一度だけの決定ではなく、絶えざる修正と絶えざる改定という試行錯誤の連続なのです](p.25)。そうなると論文の構成も同様のことが起こるのが自然でしょう。[構成プランは絶えず修正を加えられることになります](p.51)とあります。

次第に詰められていくということです。その中でも不可欠なことがあります。[何が問題であり、何が結論であるかを明確に書かなくてはなりません。つまり骨組みがなければならないのです](p.53)。このように論文を作成し、つづいて自己検証をしていきます。

①概念の使用が一貫しているか。②原因の推理に不合理な点はないか。③推定に推定を重ねた形跡はないか。④論理の進め方に無理はないか。⑤結論は既知の関連事象と適合的か。以上が太田秀通の[合理性の吟味の基準](p.68)です。まさに王道でしょう。

      

★上記は1988年版を基にしています。2005年に、この本の新装版が出ていました。

学術論文の技法

学術論文の技法

斉藤 孝, 西岡 達裕
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1 文章チェック講座の検証

いつものことながら、6時間の講義を終えると、あれは失敗、これももっとよくできたかもと、いろいろ気になってきます。先日の文章チェック講座も、いくつか失敗したと感じるところがありました。まず項目の並べ方について、もうひと工夫したいと思います。

アンケートとは別に、後半部分の演習のところに、もっと普通の文章の修正事例を入れてほしかった…というご意見もありました。これはいささか堪えました。ダメな事例として、ありがちなものを出すのが効果的だと思っていたのです。思惑が外れました。

複数の演習を通じて、自説の明確性が大切だという最初の話が確認できるのではないかと、期待していたのです。演習のあと、きちんと説明しないと伝わらないということでしょう。適切な事例が複数見つかったので、演習でわかるだろうと期待したのでした。

      

2 検証方法:新たなテキストの作成

言い訳をするつもりなら、いくらでもできるのが講義なのかもしれません。問題演習の問題数をあれよりも増やすことは、あまり効果的ではないですし、時間が足りなくなります。今回は、演習後の解説の時間が足りませんでした。何らかの工夫が必要です。

こんなことを、あれやこれや、毎回振り返っています。最初の説明の後に、分析方法を解説して、そのあとに複数の演習をやり、これらに共通する問題点を意識するという組み合わせがよかったのかもしれません。検証してみたいと思っています。

検証方法については、講義をすでにおやりになっている人からも聞かれたことですので、書いておきましょう。実際に講義をするときのように、テキストを作ってしまうのです。作ったテキストで、ぶつぶつ話してみると、これは良いとか良くないとかわかります。

      

3 受講者の反応が重要

オリジナリティのあるテキストを作ろうとしたら、考え方を全面的に変える必要があるのかもしれません。しかし、シュンペーターのイノベーション理論からすると、新しい組み合わせこそが問題です。項目の並べ方と、それらの結びつけ方が一番の問題になります。

講義がありがたいのは、頭の中で結びつけて、これでよいだろうと思っても、反応を見ると、思っていた効果がなかったということが分かることです。講義をやっていくと、わかっているときの顔つきと、そうでない場合のときの顔つきとでは、違ってみえます。

こうした経験が何度かあると、だんだんこのテキストではうまく伝わらないかもしれないという感触がもてたり、勘が働くようになるのです。こうやって少しずつ受講者から学んでいくことによって、ある程度ならば、事前の予測が立つようになります。

今回の検証は、テキストの構成を見直すとともに、テキスト自体のつくり方を総点検することがポイントです。テキストの作成方法を、ゼロベースで考えてみたいと思っています。会場参加者が多くいらっしゃると、感じることが出てくるなあ…と思いました。

      

      

1 ルール化して文章チェック

文章チェック講座を先週末に実施しました。文章というのは、一度書いたら、そのままの静的な存在ですから、これをチェックすることは合理的だろうと思います。しかし他人の文章をむやみやたらに直したり、ダメを出すだけでは、どうにもなりません。

最近では、他人の文章について、ダメを出すだけでハラスメントだと言われかねないと言い出す管理職も出てきています。ご本人もダメを出されて、自分で考えろと言われてきたようです。こういう場合、どういうふうに文章をチェックしたら良いのでしょうか。

どうすべきかということなら、簡単 です。ルール化するということになります。こういうルールで書くようにと、ルールを示して文章を修正するように誘導することが必要です。すべてをルール化するのではありません。大切なポイントにはルールが必要です。

       

2 組織ごとに独自ルールが必要

ルール化して方向性を与えることが、文章チェックのポイントだとしましょう。そうだとすると、組織あるいはリーダーが文章のためのルールを作らなくてはなりません。その通りです。基本はいくつかご紹介しますし、その原理もお話します。

しかし組織ごとに、ある種、独自のルールが必要になるはずです。実際に今回の講義にいらした方たちの立場は、本当に驚くほど違いました。いままでのような、管理職が部下の文章を見て、あれこれ言うのとはずいぶん違ってきています。

同時に文章を素材にして、チェックするという点では同じです。新入社員1年目の文書チェックの場合、何年か分の資料があったならば、それを活かさない手はありません。1年目の、いつまでにどこまでやれるかをモデル化することも可能かもしれないのです。

      

3 形式の標準化が基礎

文章それぞれについては、多様性が必要ですが、スタイルについては独自性は必要ありません。標準のスタイル、フォーマットがあったほうがしばしば有利に働きます。書く方も戸惑いませんし、読むほうも定型性が判断をしやすくしてくれるはずです。

もっとも大きな定型性は、文章の分量、文字数と言ってもよいでしょう。最近はA4一枚に報告書を書くようにという組織が増えています。その時に、記述のフォーマットが決まっているところがしばしばです。書く方も読むほうも、効率化しやすくなります。

文字数とスタイルが決まっていれば、比較が容易になります。こうした形式での文書ならば、出来の良いサンプルを参考に、成功モデルが作れる可能性が十分でしょう。そうであるならば、ルール化も容易になるはずです。こう書けば、うまくいくと誘導できます。

文書の目的から考えて、分量やスタイルをある程度決めていくことが大切なことです。ある種の統一化が進むことによって、ルール化が可能になります。文書形式の標準化ということです。文章をチェックするときに、形式の標準化が基礎になることがあります。

       

    

1 ドーマーのシュンペーター評価

『現代経済学の巨星 下』におさめられているエフセイ・D・ドーマーの文章には、興味深い話があります。「ハロッド=ドーマー・モデル」で知られた経済学者です。意外にもハルピンで生活をしています。そこからアメリカに渡り、学者の道を進んだのでした。

ハーヴァード大学でシュンペーターの講義を受けています。シュンペーターは[ケインズ経済学を、大不況から生まれたどちらかと言えば浅薄な教義](p.62)だとみなしていたそうです。ドーマーの方も、シュンペーターをそれほど評価していなかったとのこと。

[工業化諸国が失業で痛く苦しんでいるときに、大不況が過ぎ去るのを辛抱強く待てというのは、受け入れがたいもの]でした。しかし[技術面および制度面での変革を資本主義の本質そのものとして重視したこと]を評価するようになったとのことです(p.63)。

       

2 ランゲの教え方の主な弱点

ドーマーはシカゴで、1940年にオスカー・ランゲの教えを受けています。マルクス経済学と近代経済学を融合させたランゲを、[私が教えを受けた先生の中では最も素晴らしく愛すべき人物で、また何事にも整理が行き届いていた]と記しています(p.64)。

[彼の説明は、教科書を読んだり、あるいは討論の主題について考えたりさえする必要がないほど明快だった]というのです。しかし、ドーマーはこの点について、[これがランゲの教え方の主な弱点だったと言える](p.64)と記しています。なぜでしょうか。

[私が教えを受けた教授の一人が述べたことだが、教師というのは、自分の学生たちを「健全な混乱」の状態に置き去りにする方が、より効率的にその役を果たすことになるらしい]というのです(p.64)。自分で考える領域を残しておく必要があります。

      

3 教育の一番本質的なこと

ドーマーは[私の三人の偉大な先生](p.63)として、「シュンペーター、ジェイコブ・ヴァイナーとハルビンの法律教授ニコライ・ウストリアロフ」を上げていました。これらの人達の教育が、どんな風だったのか、前二者についてドーマーは記しています。

[シュンペーターのクラスのあとでは、私は、彼が述べたことを考えながら、ハーヴァードのキャンパスの中をいつまでも歩いたものである」(p.64)。[彼が次から次へと学生たちに向けて投げかける発想に耳をかすことは、私にとり楽しい学業](p.63)でした。

ヴァイナーのほうは[黒板に一つの文章を書き、それについてコメントするようにわれわれを挑発し、その上で、試しに発言するものがあれば物笑いの種にするのが常だった。彼を打ち負かすことが私の最大の野望となった](p.65)といった風です。

ヴァイナーの講義について、[これほど効果的な教育方法を考えることができるだろうか。それにしても、教師はヴァイナーほど意地悪になれるものだろうか](p.65)と書いています。自分で考えるように仕向けることが、教育の一番本質的なことのようです。

      

    

1 事実に基づいた記述が不可欠

以前、講義の中で、事実に基づいて話を展開しないと、意味がないというお話をしました。事実に基づかない話では、仮定の話、架空の話になってしまうからです。こんなことは当たり前のことだと思っていましたが、どうやらそうでもないことがわかりました。

事実がベースになります。これをわからずにいると、適切なルールが作れません。思いつきでルールを作ると、守りにくく、あるいは守る気をなくすものになります。ルールは守るためのものですから、守る気になるもの、守る必要を感じさせるにすべきです。

業務マニュアルの作成の話をするときに、事実に基づいたマネジメントをしないと、結局は損するのだという話になります。しかし、これはルール作りに限りません。もっと基本的な問題です。読み書きも事実に基づくかどうかで、判定されることになります。

     

2 小室直樹の示した事例

小室直樹が『日本人のための憲法原論』で、イスラエル人・ユダヤ人の学者に、もし「ヒトラーは疲弊したドイツ経済を救った天才政治家である」と著書に記したら、どう思うかと聞いた話を記しています。歴史的事実なのだから問題ないとの答えだったとのこと。

では「ヒトラーがユダヤ人を皆殺しにしようとしたのは、じつに正しい判断であった」と書いたらどうかと聞いたのです。これに対して、どう評価するかは、あなたの内面の問題であるから批判はしても、弾圧や撤退を求めないと答えたとのこと(p.p.319-320)。

学者の話だそうですから、全員のイスラエル人・ユダヤ人がこういう答えをするとは言えないでしょう。しかしここで大切なことは、事実であるかどうかを重視して判断しているということです。この考え方は正当なものでしょう。判断基準としても妥当です。

      

3 当たり前でないと困る前提

小室は極端な例を出して、事実であるかどうかが基準になることを示しました。こういう相手に伝わる例を出さずに説明したためなのか、以前の講義では、事実を基本にすべきであるという点が、十分に伝わらなかった人もいたようです。反省しています。

大切なのは、記述していることが、事実なのか、解釈なのか、信条なのか、明確にする必要があるということです。自分たちのミッションを明確にしようとするとき、事実に基づいて考えることはあっても、ミッションが事実であるということにはなりません。

事実でなくてはいけない、というわけではないのです。解釈であるならば、解釈の結果がどうであるかも大切ですが、その解釈を引き出す手続きが問題になります。事実に基づいて、こういう事実から、こう解釈できるというのなら、十分に説得力があるはずです。

こんなことは当たり前でないと困ります。しかし日本ではこのあたりがいい加減な本でも、有名な賞を獲得する例がよくありました。最近少しずつ変わってきたようです。文章チェック講座が今月あるため、テキストを作りながら、説明の仕方を考えています。

     

        

1 ヴェーバーの「価値自由」

山之内靖『マックス・ヴェーバー入門』のプロローグにこんな記述があります。[一般に社会科学にかかわるものは、自分の知が何らかの偏見に基づいているとは考えないのですが、ひとたびヴェーバーにつきあうや否や](p.2)、これが崩れてしまうのだそうです。

歴史的な価値判断によっているとか、一面的な単純化に他ならないといった[偏見によって根拠づけられているという事実]を[認めさせられることになります](p.3)とのこと。これがヴェーバーの「価値自由」と関わっていると山之内は言います。

▼彼が論じたのは、社会科学のいかなる命題も、根本的には何らかの価値判断を前提とせざるを得ないということ、そしてこの点をはっきり自覚している必要があるということでした。 p.3

     

2 基礎となる価値判断

例えば自殺率が低ければ低いほど良いというのは、現時点ではたぶん承認されるものでしょう。しかし経済成長率が高ければ高いほど良いというのは、広く賛同が得られる価値評価と言えるかは疑問です。こうした点を自覚しないと間違うことになります。

▼ある分析作業が特定の価値判断を根拠としているとするならば、たとえ同一の対象を扱っても別の分析者が別の価値判断を前提とした場合、別種の像が構成されることは、大いにありえることでしょう。 p.4

以上のように、山之内はプロローグで社会科学の一番の基本事項を確認しました。つづく第1章で「社会科学の二つの潮流」を示し、「構造論的アプローチ」と「行為論的アプローチ」のうち、後者がヴェーバーのアプローチであると論じます。うまい説明です。

     

3 社会科学の基礎解説

構造論的アプローチの代表格となっているアダム・スミスの『国富論』の手法を、山之内は一筆書きにしています。[市場に登場する生産者・商人・消費者]たちの[社会的な属性は意味を失っており、市場における価格づけ]だけが意味を持つとのこと(p.10)。

こうした[行為者の主観を超え]た[客観的な社会機構の仕組みを観察]し[そこに働く作用を法則として認識すること]、つまり[人間の行為動機を利己心という単純なレヴェルへと一元化]することにより社会科学は成立すると[スミスは言うのです](p.11)。

こうした構造論的なアプローチに対して、ヴェーバーは[社会的行為の内面的動機づけに注目](p.15)しました。[宗教によってもたらされる観念の力が、歴史において偉大な作用を果たしてきたことを、社会科学の内部に方法として組み込んだ](p.19)のです。

構造的アプローチはなんだかヘンですし、行為論的アプローチはよくわかりません。しかし、この本のプロローグと1章で論じられる社会科学の基礎の一筆書き、ことに「価値自由」の解説は必読でしょう。50頁足らずの部分がこの本のエッセンスになっています。

        

     

1 対象となるのは薄くて大切な本

先日、自分でエッセンシュル版を作る話を書きました。やってみたいけど、どうやったのかという話がありましたので、もう少し実際にどうやって作ったのか…について、ご紹介します。初めに作ってみたのは、ごく短い文章のエッセンスをまとめることでした。

ドラッカーの『マネジメント』のような厚い本を選んで、「よしやるぞ!」とエッセンシュル版を作ろうとするのは無謀です。途中で挫折することでしょう。まずは薄い本、あるいは自分にとって大切な本の一部分を対象にして、エッセンシャル版を作るべきです。

簡潔にきちんと書かれた論文などは、あまりエッセンシャル版には向いていません。講義を聞くように、わかりやすく書かれているけども、やや冗長な本などがエッセンシュル版を作るのに適しています。当然ながら自分にとって大切な本であることが大前提です。

      

2 印をつけながら読みこむ

自分にとって大切な本であるならば、一通り読んだ程度では不十分でしょう。大切な本をもう一度読んで、印をつけていきます。きれいに読みたいという人は、もう一冊購入するしかありません。極端に高価な本でなければ二冊買ったほうがよいのです。

縦書きの本の場合、上に余白がありますから、読みながら重要だと思うところに印をつけていきます。あとでおそらく修正することになりますから、印は鉛筆書きです。後から振り返って、必要な部分がわかればよいので、横線を引く程度で済みます。

読むスピードになるべく影響しないように、簡単な印の方がよいでしょう。読みながら
思いつくことがあったら、余白にメモしておきます。エッセンシュル版を作る場合、文章の全体を、何度か読みこむことになるでしょう。理解することが一番大切です。

    

3 『経営者に贈る5つの質問』のエッセンシャル版

読みながら少しずつ該当箇所をまとめていくことも一つの方法ですが、おそらく全体を読んでからの方がよくまとまります。自分のつけた印の箇所が適切かどうかを判断する際に、全体を読んでいる方が有利です。最後まで読んで、検証しながらまとめていきます。

一冊の本を何度も読むことは大切なことです。エッセンシュル版を作るときにも、何度も読むことが必要になります。きちんと読めたならば、ここが大切なところであり、これだけの記述があれば、十分に真意は伝わる…ということがわかってくるはずです。

どれだけの分量にするかは、本の性格や必要に応じて変わるでしょうが、半分というのが一つの目安だろうと思います。たとえばドラッカーの『経営者に贈る5つの質問』でドラッカーの書いたのは50頁弱でした。私の作ったエッセンシャル版は4割程度の長さです。

会話調でまとめられた文章ですから、簡潔にした方がかえってわかりやすいのです。印をつけていくと、思いのほか簡潔になります。A4用紙に1行40文字×50行の設定で4頁のエッセンシャル版となりました。わかりやすいですし、20分足らずで読めてしまいます。