■社会科学の前提とアプローチ:山之内靖『マックス・ヴェーバー入門』から

        

1 ヴェーバーの「価値自由」

山之内靖『マックス・ヴェーバー入門』のプロローグにこんな記述があります。[一般に社会科学にかかわるものは、自分の知が何らかの偏見に基づいているとは考えないのですが、ひとたびヴェーバーにつきあうや否や](p.2)、これが崩れてしまうのだそうです。

歴史的な価値判断によっているとか、一面的な単純化に他ならないといった[偏見によって根拠づけられているという事実]を[認めさせられることになります](p.3)とのこと。これがヴェーバーの「価値自由」と関わっていると山之内は言います。

▼彼が論じたのは、社会科学のいかなる命題も、根本的には何らかの価値判断を前提とせざるを得ないということ、そしてこの点をはっきり自覚している必要があるということでした。 p.3

     

2 基礎となる価値判断

例えば自殺率が低ければ低いほど良いというのは、現時点ではたぶん承認されるものでしょう。しかし経済成長率が高ければ高いほど良いというのは、広く賛同が得られる価値評価と言えるかは疑問です。こうした点を自覚しないと間違うことになります。

▼ある分析作業が特定の価値判断を根拠としているとするならば、たとえ同一の対象を扱っても別の分析者が別の価値判断を前提とした場合、別種の像が構成されることは、大いにありえることでしょう。 p.4

以上のように、山之内はプロローグで社会科学の一番の基本事項を確認しました。つづく第1章で「社会科学の二つの潮流」を示し、「構造論的アプローチ」と「行為論的アプローチ」のうち、後者がヴェーバーのアプローチであると論じます。うまい説明です。

     

3 社会科学の基礎解説

構造論的アプローチの代表格となっているアダム・スミスの『国富論』の手法を、山之内は一筆書きにしています。[市場に登場する生産者・商人・消費者]たちの[社会的な属性は意味を失っており、市場における価格づけ]だけが意味を持つとのこと(p.10)。

こうした[行為者の主観を超え]た[客観的な社会機構の仕組みを観察]し[そこに働く作用を法則として認識すること]、つまり[人間の行為動機を利己心という単純なレヴェルへと一元化]することにより社会科学は成立すると[スミスは言うのです](p.11)。

こうした構造論的なアプローチに対して、ヴェーバーは[社会的行為の内面的動機づけに注目](p.15)しました。[宗教によってもたらされる観念の力が、歴史において偉大な作用を果たしてきたことを、社会科学の内部に方法として組み込んだ](p.19)のです。

構造的アプローチはなんだかヘンですし、行為論的アプローチはよくわかりません。しかし、この本のプロローグと1章で論じられる社会科学の基礎の一筆書き、ことに「価値自由」の解説は必読でしょう。50頁足らずの部分がこの本のエッセンスになっています。

        

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