1 減少した留学生

これは私が関わっている留学生のことにすぎませんから、一般化することはできない話ですが、興味深いことでもあるので、書いておきたいと思います。まだ確実ではありませんが、留学生の様子が変わっているのです。人数が少なくなって、まじめになっています。

外国人の観光客について、中国本土からの人が少なくなっているとの報道がなされているのはご存じでしょう。留学生の場合も、数で圧倒していた中国人が減ってきています。それが反映されて、留学生の数が減少している感じです。しかしそれだけではありません。

中国人だけではなくて、急に増えていたベトナム人も減っていますし、その他の東南アジアの国からの留学生も減っています。このように留学生が減っているのは、新型コロナの影響なのでしょう。しかし数が減っただけではなくて、何かが違ってきました。

      

2 多くなったまじめな学生

一番注目すべきことは、とにかくまじめな学生が多くなっていることです。昨年あたりから、講義の出席率が極端に良くなり、課題に取り組む姿勢も変わってきています。一番数の多い中国人学生が特に変わってきました。講師の皆さんも、驚いています。

留学生が減った要因は、新型コロナの影響だという説明だけで十分なのでしょうか。どうも違う気がするのです。国内で十分な教育が可能になったから、留学する必要がなくなったのとも違うでしょう。国内に余裕がなくなってきたのかなという気がします。

韓国でボイコット・ジャパンを言い出して、韓国からの留学生が減った時、学生の質が急に良くなったことがありました。あれに似ています。留学するのが大変になってきているときにわざわざ留学してくる学生には、何か特別なものがあるのかもしれません。

      

3 日本に関心を持つ人たちへの期待

もう一つ、アメリカ人やフランス人の若者も、日本に留学するようになってきている点にも注目しています。いまの留学生は、全体として日本に関心がある人たちが多いのでしょう。そうしたこともあって、出席率もよくなっているのかなという気がします。

いま学校に来ている中国人や香港人の留学生の中には、日本のアニメやゲームで日本に関心を持ち、早い学生は小学校のときから日本語の勉強を始めている学生がいます。独学でスタートしたり、中学から日本語のスクールに通ったという学生がいるのです。

アメリカ人の場合、ご両親が日本人からの留学生を受け入れていたために、日本に関心を持ったとのことでした。こうした例に見られるように、いま留学してきている学生たちの中には、あえて日本に来ているという人がかなりの割合でいるように感じるのです。

わずかな数の若者たちを見ているだけですので、はっきりしたことは言えません。おそらくSNSをはじめとしたWebでの情報発信や、日本製のキャラクターに影響を受けた世代が育ってきたのでしょう。そして私の印象では、彼らには期待できるということになります。

     

     

1 ソ連についての一筆書き

先日、宮崎市定の随筆「ピカソの絵の値段」を紹介しました。たまたまその前に置かれていた随筆が「ソ連の内幕」です。題名からして、なんだかありそうでしょう。ソ連についての一筆書きでした。1973年6月6日に、もうこの体制は持たないと記しているのです。

歴史家の立場で国際情勢の分析をし、国家体制が持たないだろうとする文章を、2頁強で書いています。当然のことながら、具体的で詳細な根拠が示されているわけではありません。しかし、その後の推移を見ると、大枠で宮崎の言う通りに進んだと言えそうです。

[現在のソ連の状態は、戦前の日本の状態に酷似している]と指摘しています。[産業の不振、技術進歩の停滞、官僚制の硬直化、中国との仲違い、それに農業の大凶作]といった状況では、ソ連の将来は明るいはずはありません(以上、宮崎市定全集 23 p.387)。

     

2 ソ連の将来展望

国の力は、その国の魅力が背景にあってこそでしょう。ところが[消費産業が後回しにされ、生活程度が向上せず、民間に不満が高まっているが、それを権力で押さえつけている。その手で周囲にも威圧を加え、世界中に真の友好国は一国もない](p.387)のです。

どうすればよいのかは、明らかなことでした。[急いで国内体制の立て直しをせねばならぬのだ]、つまり[一時軍部の勢力を押さえて、軍縮をも断行し、均衡のとれた産業体制を確立し、人民の不満を柔らげ、勤労意欲を鼓舞することが大切](p.388)です。

それが出来るでしょうか。今から考えても、とても無理だろうと思います。そして当時でも、軍縮を断行して均衡のとれた産業体制に向かうことなど、現実的ではなかったでしょう。そうであるならば、ソ連の将来展望など開かれようもないことでした。

     

3 大筋が見えるかどうか

なぜ自国を発展させる産業体制が整備できなかったのでしょうか。宮崎は、周辺国との関係がポイントだと指摘します。[西独と日本との平和共存をうたって国民を安心させ、軍部からの横槍を防がねばならぬ](以下、p.388)のです。しかし、それも無理でした。

[不戦条約を反故にした][ソ連の言うことは一切あてにならぬというのが平均日本人の偽らざる感情]です。ソ連との平和条約など[何の役に立つのかという気持ちでいっぱいだ。条約は結ぶことに意義があるのでなく、守ることに意義があるのだ]となります。

[北方領土問題は、単なる領土問題だけではない]、[ソ連が終戦直前にとった行動に対して反省があるかどうか]の問題です。そして[日ソ国交交渉の停滞は日本にとって当面は小さな不利益]ですが、長期的には[ソ連にとって決定的な不利益]になります。

こんなことは見えるではないかと、宮崎は[明治の政論家]の例を挙げるのです。特別な情報や統計の知識がなくても、[案外的確に状況を把握して、大体は誤りなく世論を指導してき]ました。全体構造が見えていれば、大筋は見えるはずだということです。

  

宮崎市定全集〈23〉随筆(上)

宮崎市定全集〈23〉随筆(上)

宮崎 市定
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1 作品数と絵の値段

少し前に、かつて天才とも言われた画家の作品を見ました。30号の作品です。いまではその人の名前も、ほとんど忘れられているのかもしれません。久しぶりにこの画家の作品と対面して、しばしその絵の前にたたずんでいました。すばらしい作品です。

立ち去りがたい気持ちでいたときに、画廊の方から声をかけられました。にこりとして、いいでしょう、天才ですよと言って、黙っています。しばらくして、そこに記されていない値段をおっしゃっいました。私でも、その値段がただならぬことだとわかります。

作品の数が少ないと、絵の場合、こういうことが起きるのです、信じられないでしょう…。まだお若かったですからねとこちらが言うと、そう、作品が多くないとね、みんな忘れちゃうとつぶやくように言って、また黙ってしまいました。

     

2 絵の値段と芸術的価値

まだ現役で、それなりに名前が知れていて、多作の画家の場合、桁違いに高い値段がついています。常設展でその人の作品を見たときに、何とも言えない気持ちになりました。どう考えても値段が逆だとしか思えないのです。しかし、こういうことはよくあります。

宮崎市定の随筆にもあったなあと思い出しました。「ピカソの絵の値段」(宮崎市定全集23 随筆上)で[いったいピカソは本当にどれだけ偉大な芸術家だったのだろうか](p.389)と、宮崎は否定的に書いています。絵の値段は芸術的価値とは違うということです。

▼普通には商品の数量は、その価格と反比例する。ところが、あれだけ多作でありながら、その絵があれだけ高いのは、その芸術性が高いために外ならぬと結論するのなら、ちょっと待ってもらいたい。経済現象は非常に複雑で、いつも相反する法則が同時に行われているからだ。 p.389

     

3 数量効果の利用

宮崎が経済学の本をどれだけ読んだかはわかりませんが、ピカソの絵の高価格の要因を[こういうのを経済学では数量効果というらしい](p.390)と書いています。その説明もわかりやすく、さらりと書いているのには驚くしかありません。

▼頼まれれば頼まれただけ、注文をこなさなければならぬ。飛行機を利用し、一人の身体を二人分にも三人分にも働かせ、あちこちに出演して稼ぎまくるのである。すると、それだけファンが増えて人気が高まる。人気が高まれば、したがってギャラも上がる。 p.390

宮崎は、[画家として、ピカソは無比の健康の上に、無類の早描きの画法を発明したところに成功の秘訣があった]と結論づけています。さらに[意識して数量効果を利用した人に、西洋ではルーベンス、中国では明代の菫其昌](p.390)と指摘するのでした。

1973年の随筆です。宮崎は同様に、ダ・ヴィンチとラファエロの関係も同様に見ています。ラファエロは早描きでした。そう考えれば、少しは平安な気持ちになれそうです。画廊で絵の値段を見て、いたたまれない気持ちになって宮崎の随筆を思い出したのでした。

       

宮崎市定全集〈23〉随筆(上)

宮崎市定全集〈23〉随筆(上)

宮崎 市定
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1 「インドの危険な曲がり角」

もしかしたら日本のGDPが2023年度にドイツに追い越されるかもしれないとの報道がありました。ドイツばかりか、数年したら、インドにも追い越されるでしょうという人もいます。インドは世界最大の人口国になりましたから、注目される国です。

特許件数の変化を見ていると、韓国が増え、中国が増えてきました。その次、今度はインドが成長するという人がたくさんいます。そうかもしれません。しかし藤原正彦は『管見妄語 知れば知るほど』で、インドの将来について一筆書きで懸念を示しています。

天才数学者のラマヌジャンを生んだインドのファンである藤原は、「インドの危険な曲がり角」を『週刊新潮』2016年2月18日号に投稿しました。このコラムを[高貴を失ったインドは中国のような野卑な大国になりかねない](p.104)と締めくくっています。

      

2 インド人のIT躍進:3つの原因

藤原は[インド人が今、世界のITや金融を席捲している]点を十分承知しているのです。[シリコンバレーにある企業群では、CEOの三割、働く人の六割がインド人と言われている](p.102)と書き、[IT躍進の原因は大きく三つある]と記します。

第一に[道路や鉄道、電力、上下水道などインフラが未整備で工業生産が難しい]状況で、発展には[IT産業しか選択肢がない]こと。第二に[カースト制]。今でも[世襲的に固定された職業に就くことが多い]ため。第三に[インド人のたくましさ]です。

集中すべき産業はIT、そして[IT技術者は新しい職種でありどのカーストにも属さない]ということになると、人々はIT産業に殺到し、優秀な人は抜きんでます。[自らに有利な意見を臆せず主張して譲らない]のも有利に働いたようです(以上、p.103)。

      

3 大天才を生んできた土壌の崩壊

こうしたITや金融界での成功があるにもかかわらず、藤原はインドに対して悲観的な見方をします。インドは20世紀になっても[ラマヌジャン、詩人のタゴール、物理学のラマン、天文学のチャンドラセカールなどキラ星のごとく天才を輩出してきた]のです。

これらの天才たちは、[彼らのほとんどは、貧しくとも精神性を重んずるバラモンだった]とのこと。しかし[最近はバラモンが大半を占めるIITの学生たちまでが、ITとか金融で大金持ちになることばかり考えているという]指摘があるのです。

藤原は[金銭にはしゃぐインドに、もはやかつての、大天才を生んできた土壌はない]と厳しく指摘しています。実際、[最近のインドの科学、技術、文化、芸術が停滞しているように見える]のです(以上、p104)。どうも、その後も変わりない気がします。

インドはカナダとの関係を悪化させました。これは尾を引くことでしょう。嫌な予感がするときに、昔読んだ藤原のコラムを思い出しました。識字率が改善しているインドは、今後、経済成長することでしょう。しかし、楽観的なばかりではいられないのです。

      

管見妄語 知れば知るほど (新潮文庫)

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藤原 正彦
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1 わからない領域に切り込んでいく手法

いままで何回か歴史の本について言及しました。数年前のことですが、ビジネス人が歴史を読む必要があるのか、どんな意味があるのかと聞かれたことがあります。そのころ、雑誌か何かで、歴史を読む意義を何人かの人が書いていらしたようです。

そのとき思いつきを答えたのですが、ああ、それなら納得できますと言われたので、書いておきます。歴史というのは、事実であることを前提としなくてはならないのですが、じつのところ、事実であることが確実な話ばかりではありません。

そうなると、どうやって「確からしい」と考えたらよいのか、その判断基準が大切になります。とくに資料や物証の少ない古代史の領域では、どうやって実体を推定して、歴史を構築するかが勝負どころです。わからない領域に、切り込んでいくことになります。

      

2 刺激になる切れ味の良い論証

ビジネスでも、この先がわからないことがしばしばです。わからないときに、わからないからお手上げだというのでは、責任が果たせません。不十分な材料しかなくても、そこからかなり正しい判断が出来ることが、しばしば言われています。

こうしたビジネスでの判断の仕方は、それぞれの人が経験を活かしたり、知識を活かして、その人なりの方法を用いるのでしょう。この時、全く根拠のないカンに頼るよりも、何らかの確からしさを見出して、それを基に推定していく方が実際的でしょう。

例えば日本古代の出来事について、確定資料がない場合に、どうやって実態を推定していくのか、その論証の仕方が歴史を書く人の実力だろうと思います。切れ味の良い論証をじっくり読むならば、ビジネスについて考えるときに、どこかで刺激になるはずです。

      

3 歴史の本は思考の訓練に不可欠

私がそのとき話したのは、以上のようなことだったと思います。基本的な考えは、あまり変わりがありませんので、だいたいこんなところでしょう。相手の人は、歴史小説を読んでいたようですが、あまり学者の書いた歴史の本を読んでこなかったようでした。

それだと歴史小説よりも、すぐれた学者の優れた歴史書の方が役立ちますね…という反応でした。役立つかどうかは微妙ですが、歴史小説よりも面白いかもしれませんと答えた気がします。しかし読み方の問題もありますし、このあたりは好みの問題でしょう。

専門家の専門領域の論文の場合、とても読めるレベルにはありませんが、学者が一般向けに書いた本の中には素晴らしい本があります。1冊だけあげるなら宮崎市定『古代大和朝廷』です。この本を理解しようとしたら、読むべき本がいくつか出てきます。

『古事記』はひとまず読んでみないといけないでしょうし、『日本書紀』の必要部分も必要です。手間はかかりますが、このくらいすると宮崎の言うところがかなり理解できるようになります。飛び抜けた歴史の本は思考の訓練に不可欠だと思うのです。

      

古代大和朝廷 (ちくま学芸文庫)

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古代大和朝廷 (筑摩叢書)

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1 モンゴル・高麗連合軍

岡田英弘の『歴史とはなにか』について書いた後、思いついたことがありました。「元寇」についてのことです。ちょっと待てよ、どの本に書いてあったのだろうかと調べてみたら、見つかりました。『中国文明の歴史』に以下のように書かれています。

▼三世紀の『三国志』の「魏書」の「東夷伝」の「倭人」の条(いわゆる『魏志倭人伝』)以来、大陸では、日本列島は南北に細長く伸びて、華南の東方海上に達していると思われていた。それでフビライ・ハーンは、南宋に対する作戦の一環として、日本列島を占領して、背後から南宋を突こうと考え、1274年、モンゴル・高麗連合軍を送って日本を攻め、北九州に上陸を試みたが、失敗に終わった。 pp..153-154 岡田英弘『中国文明の歴史』

元の力が強大で[高麗王朝は抵抗の力を失って、モンゴルに降伏することになった](p.144)ので、フビライ・ハーンのもとに出かけて行って[北京の郊外で面会した。フビライは大いに喜んだ](p.145)とあります。連合軍になったのは、こういう経緯でした。

      

2 大陸外への勢力拡大はすべて失敗

「元寇」には2回目があります。[1281年の第二回の日本遠征(弘安の役)も、南宋に関係がある]のです。1279年に南宋の[掃討作戦が完了]したのでした(p.154)。それで旧南宋の水軍を中核部隊として北九州に上陸作成を試みましたが、失敗しています。

元が日本を攻撃した1回目の目的は、南宋の征服のためでした。2回目は南宋が水軍を持っているから、それを使って大陸外への勢力拡大を試みたということです。こうした試みは日本に対してだけでなく、すべて失敗したようでした。以下のようにあります。

▼フビライ・ハーンは、サハリンや、台湾や、ジャワ島に対しても、海を越えて軍隊を送って征服を試みたが、いずれも失敗に終わり、モンゴル帝国を海外に広げることはできなかった。 p.154 『中国文明の歴史』

       

3 複数の視点が必要

日本側からの視点でモノを見ると、外国からの侵略によって国が滅ぼされる危険にさらされたということになります。しかし元のほうでは、一番の目的は南宋の獲得でした。これを見ても、単一の客観的な視点に立って歴史を見るのは、無理なことだとわかります。

日本側は、独立を守るために必死に戦い、その結果、政権がぐらつきました。一方で、神風と神国日本という思想に結びついていきます。さらに、こうした経緯が日本の独立意識を明確にしました。本気で戦い、独立を守ったのですから、大きな意義があったのです。

日本の視点でモノを見るのは原則でしょう。しかし同時に、元はサハリン、台湾、ジャワ島でも失敗しています。日本は特別ではなかったのかもしれません。複数の視点を持つことの大切さを感じます。歴史の本を読む大きな理由も、この辺にありそうです。

黙って側面から協力してもらっていた人が、自分の実力で成果を上げたと思い込んでいるらしい姿を見たことが、何度かあります。これは他人ごとではありません。複数の視点を獲得することが不可欠です。良い歴史の本が必要だと改めて感じました。

      

    

1 歴史の定義

歴史というものを、どう定義したらよいのでしょうか。明確にすることは、簡単なことではありません。このとき、基準となりうる定義を示したのが岡田英弘でした。岡田は『歴史とはなにか』に自分の歴史についての定義を示した上で、コメントをつけています。

▼歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである 『世界史の誕生』から :『歴史とはなにか』p.10

岡田は[ここでは、「一個人が直接体験できる範囲を超え」るということがだいじだ]というのです。つまり[歴史の本質は認識で、それも個人の範囲を超えた認識であるということ](p.10)にあります。これに加えて叙述すること、記述することが重要です。

       

2 文章の記述との関係

歴史とは何かを考えることは、出来事とは何か、経験とはなにかを考えることにもなるでしょう。一個人が直接体験した出来事や経験が、われわれの考えに大きな影響を与えています。これらを客観化するために、個人の体験を超えた歴史が必要になるのです。

ある出来事や経験を、どう認識するのかということが、ものを書くときの中核になります。では文章を書くとはどういうことなのでしょうか。おそらく認識したものを記述することです。このとき、まず誰が認識したのかということが問われます。

誰の認識であるのか、何についてのことであるのか、誰・何が問題です。誰が何について認識するのかということになります。もう一つ、その認識に関して、条件を設定することが必要です。それが[時間と空間の両方の軸]ということになります。

       

3 「歴史」のある文明

私たちが、「誰・何・どこ・いつ」に関する認識を持つことによって、考えることが成立するということでしょう。「ヒト・モノ・コト」を二分したものが、「誰」と「何」であり、「時間」と「空間」は客観的な基準を示すということでもあります。

いうまでもなく、経験や出来事というものは、ある時、ある場所でしか起こりません。経験や出来事の内容は「誰が・何を・どうした」の形式で記述するのが原則です。これに対して、「いつ・どこで」という時間と場所が条件を規定しています。

行為や現象に対して、どんな状態であると認識するのか、どう評価するのか、これを[時間と空間の両方の軸]によって組み立てていくのが歴史ということでしょう。こうした記録を残していない文明もあって、それを岡田は「歴史のない文明」と呼んでいます。

         

歴史とはなにか (文春新書)

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1 後光がさしているように見えた1930年前半のロシア

清水幾太郎の『本はどう読むか』を読むうちに、いままで忘れていた記述が見つかりました。ここに書いてあったのかという感じです。5章の「外国語に慣れる法」に、ドイツ語を習い、フランス語、英語、さらにロシア語を[やることはやった]とのこと(p.136)。

1930年代前半にロシア語を始めた頃、[ロシアという国に後光がさしているような時代であった]と清水は記しています。[資本主義諸国が恐慌や失業の波に弄ばれていたのに、ロシアでは着々と社会主義建設が進んでいるように見えていた](p.139)からです。

しかし[後になって、その頃のロシアの悲惨で野蛮な実情が明らかになった](p.139)のですが、こうしたことをほとんどの人は知りませんでした。ところが清水はロシア語の文献を読んでいたため、ロシアが後光がさすような国ではないと見破っていたのです。

      

2 イメージと文科系の学問水準の乖離

清水は『小百科事典』十巻をロシアから取り寄せて読みました。全部ではなくて、[社会学に関係のある項目を探し出して、一生懸命、これを読んでみた](p.139)ということです。その結果、ロシアに対するイメージが間違いだったことに気がつきます。

[社会学という項目にしろ、オーギュスト・コントをはじめとする社会学者を取り扱った項目にしろ、辞書は、粗雑な記述と口汚い罵倒しか与えていない](p.139)のです。これで学問のレベルがわかります。記述の方針も見えてくるでしょう。

英語の場合、清水は[パーク及びバージェスの共編に成る『社会学概論』]を購入しています。[これは、教科書とは言え、アメリカ社会学の画期的な業績である](p.139)と評価しています。ロシアとアメリカでは、まったく競争にならない学問レベルでした。

      

3 本気で読むべき本は少ない可能性

即戦力になる科学技術の場合、専制主義国で異様な発展を見せることがあります。しかし社会との関わりのある、多くの文科系の学問の場合、自由主義の思想がないところでは発達しにくいようです。これは最近のことではなくて、20世紀前半でもそうでした。

ノーベル賞の多くが科学技術にかかわる理科系の学問です。ここでの日本人の活躍を喜んでいますし、今後にも期待しています。同時に日本の文科系の学問の水準は、どうなのか気になりました。理科系の学問ほどに、世界に通用していない気がするのです。

後光がさしているように見える国でも、文系の学問に魅力的な展開がなかったら、その国の実力・地力は大したことがないということでした。清水の本は1972年に出版されたものです。出版の約40年前、ロシアで顕著だった傾向は、現代でも変わらないでしょう。

21世紀になって、日本のノーベル賞受賞者が増えて、日本の学問水準が高くなったような印象がありました。しかし文科系の学問はどうか、世界に通用する日本の学者は誰なのか、気になります。本気に読むべき日本の学者の本は、少ないのかもしれません。

      

     

1 標準的な作成法と組織のカルチャー

今回、操作マニュアル作成講座の参加者に、事前アンケートをとっていただきました。作成経験があるのか、どんな目的で参加するのか、何が知りたいのかといったことを事前にお聞きして、講義内容に反映させようということです。

ご要望の中で一番多かったのは、標準的な作成法が知りたいというものでした。成功した操作マニュアルは確かにあります。そうしたスタイルと内容が、どんな方法で作られているのか、ご説明すれば、標準的な作成法と言ってもよいかもしれません。

多くの場合、出来上がったマニュアルの形式や内容に違いがあったとしても、作成原理に共通性があります。その違いの中には、組織のカルチャーと言うべきものが含まれるのが通例でしょう。各人、各組織ごとに調整することが必要になります。

       

2 文明は合理的で標準化できる

カルチャーを無視するわけにはいきません。この時、ふと思って、カルチャーつまりは文化というものは、ある種、不合理なものですからとお話しました。慣習と言うべきものですから、理屈があるわけではないのですが、そこに愛着があってなかなか変わりません。

この点、文明というのは合理的なものですから、標準化できます。標準的な作成法のお話が聞きたいという方がいらっしゃいますし、それは大切なことです。しかしカルチャーが入るということも無視できません。こんなことを、ふとお話したのでした。

これは私の定義ではありません。どなたかが言ったことです。誰が言ったのだったろうかと、なんだか気になって考えるうち、思い出しました。司馬遼太郎です。『司馬遼太郎全講演[5] 1992-1995』の「草原からのメッセージ」のなかにありました。

      

3 「文明」というシステムと「文化」という絆

司馬は言います。狩猟をして暮らしていくのは不安定なものだったけれども、[不安な暮らしをしていた人が、遊牧というシステムを知っていく][これをまねたら楽だ]ということで、[それに参加していく]ことになったのです(『司馬遼太郎全講演[5]:p.55)。

[遊牧は文明であるということです]、[文明は、文化と違うんであります](p.55)と司馬は言い、[文明というのは、徹底的に合理主義なんです](p.56)と語ります。一方、[文化というのは、一言で定義すると、不合理なものです](p.55)。

▼われわれは飛行機文明というものにも参加しています。チケットを買って、離陸するときにシートベルトを締める。それだけで参加できる。手軽なんです。
遊牧も、メソッドをちょっと覚えたら、参加できるわけです。 (p.56)

[決まった日にお不動さんに行く]とか[箸の上げ下ろし]などが文化であり(p.55)。解説の山崎正和が言う通り、[文化は人間に理由のない誇りを与え][人々を集団に結びつける][あくまでも少数者の絆](p.355)です。知っておくべき概念だろうと思います。

       

司馬遼太郎全講演 [5] (朝日文庫)

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1 300頁足らずの日本史の本

先週ふれた『男の肖像』で、塩野七生は世界に通用する歴史的人物として織田信長と北条時宗をあげていました。この二人のうちでも、とくに時宗をどう記述しているかで、ある程度、日本史の本を判定できるかもしれません。実際のところ、どうでしょうか。

思いのほか日本史のことを知っておきたいと感じているビジネス人が多い様子です。学習参考書を買ってみたけれども、あれはダメだったという人もいました。正確かもしれませんが、無味乾燥です。通読するのはよほどのことがない限り難しいことでしょう。

出来の良いコンパクトな日本史の本を読むほうがよさそうです。渡部昇一『増補 決定版 日本史』は300頁足らずの本ですが、元寇と時宗について、2項目の見出しを立てて、合わせて6頁の記述がなされています。日本史の大きな流れが理解できるはずです。

      

2 歴史のポイントをコンパクトに提示

「日本史上、最大級の危機だった蒙古来襲」(pp..102-105)、「蒙古来襲に毅然と立ち向かった20歳の大将・北条時宗」(pp..106-108)の項目名だけで、元寇が最大級の危機だったこと、時宗という若者が立ち向かったことがわかります。内容を見てみましょう。

(1) 17歳の時宗は、元のフビライの国書に返書を送ろうとした朝廷の意向を拒絶
(2) 1274年、文永の役で、4万の元軍は残虐の限りを尽くし、日本は苦戦
(3) 少弐 景資(ショウニ・カゲスケ)の矢で敵将・劉復享が死亡、元軍は船に引き揚げる
(4) 元軍が引き揚げた夜に大嵐が来て船は沈没、残りの船も撤退:「神風」と呼ばれる
(5) 1281年、弘安の役で、元は南宋の軍を使って十数万の大軍を博多湾に派遣
(6) 幕府は防衛の準備をした上に果敢に攻撃し、元軍を長期間海上に留め置かせる
(7) やがて大暴風雨がきて海上の元軍は全滅、帰国は2割以下:再びの「神風」

以上が「日本史上、最大級の危機だった蒙古来襲」でのポイントです。3頁でこれだけのことが語られています。厚い本では、こうしたことが見えてきません。ただし参考書で確認すると、(1)は時宗18歳の時のこと。すでに前年、幕府の方針は決まっていたのです。

     

3 基本書を読み、参考書で補完する方法

受験参考書は通説に沿って正確な記述がなされています。広く使われている山川出版の『詳説 日本史研究』と安藤達朗『日本史 古代・中世・近世』の場合、共に3頁程度の記述です。(3)の「少弐 景資」の矢の話は、両書に記述されていません。伝承のようです。

『増補 決定版 日本史』には正確さで微妙なところもあるかもしれません。しかし、これを基本にして日本史全体を読んだ上で、必要に応じて参考書で確認したほうが理解が進みます。「蒙古来襲に毅然と立ち向かった20歳の大将・北条時宗」も見ておきましょう。

(8) 蒙古来襲に際し、朝廷は諸社寺に祈祷を命じ、亀山上皇も伊勢神宮に参拝
(9) 祈祷により神風が吹いたと朝廷は思い込み、戦った武士、時宗の功績を低く評価
(10)時宗について、日露戦争の頃、明治天皇によって再評価がなされた
(11)時宗は宋の禅宗の高僧から教えを受け、高僧・無学祖元(ムガクソゲン)からも絶賛された
(12)時宗は武士たちを奮い立たせる何かを持っていた稀有な大将だった
(13)幕府は蒙古との戦いで国土を防衛したが、何も得たものはなかった
(14)武功への恩賞がなく、出兵しない者が得する矛盾が生じ、幕府の権威が失われた
(15)北条家は倹約により蒙古来襲に対応できたが、富が尽きて幕府の経済基盤が揺らいだ

コンパクトで、よくできた本はどんな分野でも、ごく少数しか存在しないように思います。そういう本を見つけることは大切なことです。日本史の分野でお薦めできるのは、現時点では、この本です。他にもよい本があるかもしれません。もう少し探してみます。

      

[増補]決定版・日本史 (扶桑社文庫)

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渡部 昇一
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いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編

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安藤 達朗
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