■よりよき文を作るための文法:文章の価値・規範
1 規範文法の否定と「文章読本」
ドイツ参謀本部のメッケルが日本陸軍に招聘されて、明治16(1883)年に来日しました。メッケルは「軍隊のやりとりの文章は簡潔で的確でなければならない。日本語はそういう文章なのか」と問うそうです(『司馬遼太郎全講演[2]』朝日文庫 p.388)。
ここでは文章の評価基準として、[簡潔で的確]なことをあげています。梅棹忠夫は「学術論文の質の向上のために」(『情報管理論』所収)で、[学術論文をかくのに適した、平明で、簡潔で、論理的な日本語の創造](p.21)が必要であると記していました。
「簡潔・的確・平明・論理的」といった基準に合格する日本語が必要だということです。こうした価値基準を設けて、日本語を論じたのが『文章読本』でした。その一方、日本語文法では、こうした価値を排除したのです。規範文法の否定といってよいでしょう。
2 価値評価を排除した弊害
社会科学では価値評価を排除するのが流行りました。ノーベル経済学賞を受賞したミュルダールが、バカげたことだったと反省しています。しかしいまだにその傾向があるようです。経済分析なら客観的でよいでしょうが、経済政策では価値判断が不可欠になります。
日本語文法がよりよい文章を書くために役立たないのは困ったものです。現実にある文を素材にして、そういう文が実際にあるのだからと、そこからルールを創り出そうとするから、おかしなものになるのです。日本語文法の通説的な見解を見ると、がっかりします。
三上章『日本語の構文』で[クロウト筋は、文は“何がどうする”、“何がどんなだ”、“何が何だ”だというtawagotoを何十年でも繰り返してやみません。この三ヶ条は、悪文治療家科の玄関にも掲示されています](p.183)と記し、以下のように提言していました。
▼文法でも、構文様式が大きく違っている。
英語 主述(S-P)を骨子として構文
日本語 題述(T-P)を骨子として構文
この相違の認識が遅れた(今なお認識不足の人が多い)ために、構文論は成績が甚だしく不良である。 巻頭の「まえがき」 『日本語の構文』
三上は『日本語の構文』で、題述(T-P)の構文が[概して文頭にあって、構文的な支配力を有し、もちろん使用回数も非常に多い。このような成分に、優先的に名称(概念)を与えるのでなければ、日本文法にならない](まえがき)と記しています。
3 有効性のない題述を骨子とした文法
三上は具体的な例文をあげていました。その一つの例文が「チョムスキーの文法論は数学的に厳密な形式を有することに一つの大きな特徴がある」です。この文が[「簡潔・的確・平明・論理的」といった基準に合格する日本語]であると言えるでしょうか。
以下をご覧ください。Aは三上のあげた例文。これは強調文でした。これを通常の形にしたのがBの例文。CとDは同じ内容を“何はどんなだ”形式の構文にしたものです。どの例文がわかりやすいか、比べてみてください。三上の例文の評価は低いのです。
A: チョムスキーの文法論は数学的に厳密な形式を有することに一つの大きな特徴がある。
B: 数学的に厳密な形式を有することにチョムスキーの文法論の一つの大きな特徴がある。
C: 数学的に厳密な形式を有することがチョムスキーの文法論の一つの大きな特徴である。
D: チョムスキーの文法論の一つの大きな特徴は数学的に厳密な形式を有することである。
Aは基本とは違う構文で書かれた例文です。だからわかりにくいのです。こうした基本から外れた例が実際にあったとしても、そこから文法を作ってしまっては、学ぶ価値のある文法にはなりません。題述(T-P)を骨子とした文法ではダメだということです。