■文章と論理学:野矢茂樹『入門! 論理学』から
1 論理学の核心部分の提示
論理的な文章を書きたいという要望があります。こういうとき、論理学の話をすると、たいてい歓迎されません。理屈の話は、文章を書くときの態度と相性が良くないのでしょうか。自然に書いて、結果として論理的になる方法はないのかという要望があります。
論理性を身につけたなら、自然に論理的な文章を書くはずです。実際、ある程度は論理的な文章を書いています。より一層というのが、論理的な文章を書きたいという要望でしょう。それならば論理学のエッセンスが身についていれば十分だということになります。
野矢茂樹は『入門! 論理学』の「はじめに」で、[その学問の根本的なところ、その本質を、つかみ取り、提示する]こと、[論理学の根本に向かおうとする姿勢]で[何度でも立ち戻ってこなければならない論理学の核心部分]を提示しようとしたと記します。
2 使いこなしている人の学問
論理を知らない人には論理学の教科書が読めません。[日本語を母語とするひとにとっての日本語の文法書]と同じ意味において、論理学の教科書が必要でしょう。野矢は[論理学は日本語文法の一部であり、かつ、日本語文法を超えている]というのです(p.29)。
論理学は[演繹的推論という、かなり限定された言葉の関係を扱いますから]文法の一部と言えます。同時に、これらは[日本語にかぎったものではありません]、[様々な言語に共通してみられるもの]ですから[論理学は特定の言語を超えているのです](p.30)。
▼論理学というのは、論理をすでに使いこなせているひとが、いったいこれはどうなっているのだろうという関心のもとに、それを整理し、体系立て、理論化していく、そういうものにほかなりません。 p.30
3 論理学のエッセンス
論理学のエッセンスは、そうたくさんはないということになります。[「ではない」「そして」「または」「ならば」「すべて」「存在する」、これらのことばが作り出す演繹的推論の全体を統一的に見通す](p.33)ことによって、習得できるということです。
実際、[たいして複雑な体系ではありません]。しかし例えば[数学の演繹的推論は基本的にいまあげた語彙でまかなえてしまいます](p.33-34)。第1章の、論理的とはどういうことかの解説から始まり、その後の5つの章で論理学のエッセンスが提示されます。
否定の論理、「かつ」と「または」の論理、「ならば」の構造、命題論理の体系と証明、「すべて」と「存在する」の推論、これらを学べば、ひとまず一般の社会人は十分だといえそうです。論理的な文章を書きたい人にとって、読む価値のある入門書でしょう。
私たちは記述することによって、伝達を図っています。文章に記述することは、話をするよりも、安定した形式をとった伝達手段です。記述したものは、検証可能であり、ブレることがありません。だからこそ文章において、論理的であることの価値があるのです。
