■概念の明確化・「見える化」

      

1 何となくうまくいってしまうこと

以前教えていた学生から連絡がありました。つねにデザインを考えなくてはいけない業界で仕事をしています。外から見れば、いわゆるプロです。デザイン案を考えることが好きだったはずですが、しかしあまり意識してデザインをしたことがなかったようでした。

何となくうまくできてしまう人はいます。そういう場合、たいてい何とかなるものだと思っていますから、そう心配もしないのでしょう。実際、そうやって毎回何とかなってきたようです。しかし今回行き詰ったのか、上手くまとまらないということでした。

なかなか興味深いことです。レベルが上がって、評価されたりすると、つぎつぎもっともっとという気持ちが湧いてくるのでしょう。どうやったらいいのかわからなくなってきたようです。いつものように、こちらは聞き取りをして方法にまとめることになります。

      

2 暗黙知は形式知にならない

レベルが上がってくると、人に聞かれるようになりますから、意識しないでやっていたことを意識しなくてはならなくなります。そのとき言葉で説明できないと感じがちです。しかし順を追って確認していけば、たいていの場合、言葉で説明できるようになります。

何でそうするのか、説明できないでいたものが説明できるようになったならば、それまで普通にできていた本人にとっても、ある種の発見になることでしょう。一方、無意識にやっていたことが、言葉で説明できてしまうと、なんだという感じにもなるはずです。

こういうとき、言葉で説明できなかったことが説明できたのだから、「暗黙知」が「形式知」になったのですねという言う方をする人がいます。しかし違うでしょう。暗黙知といわれるものは、体が覚えるものですから、言葉にしてもあまり意味のないものです。

マネジメントで暗黙知という概念が提示された1980年代になって、脳の研究で暗黙知のことがわかってきました。暗黙知は形式知にはなりません。別物ですから、正面から説明するのは無理があります。しかし形式知から暗黙知という言い方はまだなされています。

       

3 意識して明確化すること

今回、自分で上手くいったケースをもとに、その方法とその理由を聞きながら、整理していくと、新しい自分なりのデザイン方式ができてきました。こうやって説明できたことを、どういう言葉で表せばよいでしょうか。簡単に、明確化と言えば済む話でしょう。

ものごとを明確化するというのは別にめずらしい要求ではありません。つねに求められることだといってよいでしょう。しかし何となくできてしまっていると、多くの場合、それを意識して明確化しようとしません。それであるところで行き詰まったりします。

今回もそうでしたが、明確化しようとする過程で、しばしば新しいことが「発見」されるのです。たいした発見ではなくても、本人にとっては打開につながりますから、大きなことだと言ってよいでしょう。いわゆる「見える化」によって、その先が見えるのです。

言葉にすること自体が、概念の明確化、概念の見える化ということになります。トップの成績をあげた人に、その方法を語らせることが効果的だとドラッカーは語っていました。十分な説明はありませんでしたが、あえて言うまでもない話だったのかもしれません。

     

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