■日本語文法の課題:1981年の大野晋と丸谷才一の対談から

     

1 英文法を利用して国文法を考える

『日本語の世界』第6巻の付録に大野晋と丸谷才一の対談が載っています。昭和56年(1981年)のものです。[主格の「は」、目的格の「は」]、[「が」の上は未知、「は」の上は既知]、[「も」と「は」の違い]など、興味を引く小見出しが並びます。

古今集の「野辺ちかく家居しせれば鶯のなくなる声は朝な朝な聞く」の「鶯のなくなる声は」の「は」が目的格についていることを両者は確認します。丸谷は、[これは目的格だ、これは主格だと私が分類するときは、いったん英語に訳している]と言うのです。

丸谷は[英文法を利用して私が考える態度が、国文法を考える態度としていいのか、悪いのか]と問います。大野は[丸谷さんのように頭をめぐらすような習慣が出来てきていますね。しかし、それは英語がすぐに頭に回ってくる人]だと反応していました。

     

2 記述内容が記述方法を変える

日本語の文法が整備されていないために、英文法を使って考えるということは、しばしば学者たちがしてきたことです。学術的な文章を書く場合、どうしても[事柄としての関係を追い詰め]ることになります。こういうとき、英文法を利用して考えてきたのです。

記述される文章内容が、明確で論理的なものでないと正確に伝わらない場合、「鶯のなくなる声は」ではなく、「声を」という表記にせざるを得ないでしょう。日常の会話ならば[目的格だとか何とかというふうにはわれわれは意識しない]のは自然なことです。

一方、記述される内容の変化によって、記述方法が変わるのも当然でしょう。山口仲美は『日本語の歴史』で、鎌倉時代以降、日本語でも論理性が求められるようになった点を指摘します。その結果、係り結びが消滅し、主語が意識されるようになりました。

     

3 「も」と「は」の違い

大野は「は・が」の既知・未知を主張しています。「あのマリリン・モンローが死んだよ」の例文を出して、「が」の上は未知が来るのに、「あの」という既知を表す言葉があって、「それで驚きを表現している」とのこと。現在では、ご苦労様という感じです。

しかし[「も」と「は」の違い]について、大切な指摘をしています。助詞「も」の研究は、あまりなされていないとのことです。大野はここで、「少しも・ない」「少しは・ある」という使い分けがなされていることを指摘しています。

「ある」のか、「ない」のかが、「少し」がつくことによって判定できるようになるのです。この点、「多く」なら、「多くは・ない」「多くも・ない」となり、大小なら「大きくは・ない」「大きくも・ない」「小さくは・ない」「小さくも・ない」となります。

一方、「たくさん」の場合、「たくさん・ある」「たくさんは・ない」となり、「も」はつきません。こうした事例に言及がないですし、「少し」の解説が通用することもないでしょう。しかし「少し」の指摘は不意を突かれました。重要な指摘だと思います。