■英語と日本語に共通する発想:マーク・ピーターセン『日本人の英語はなぜ間違うのか?』から
1 同じ名詞の繰り返し
日本語の場合、誰が誰に語っているのか、わかりきっている場合には、そのことを記述しないのが通常の記述形式になっています。したがって、欧米の言語のように「主語-述語」という構造はありません。この点から、単肢言語という言い方もなされます。
これは文章の効率性から言って、当然のことです。日本語に限らず、まだらっこしい言い方は、通常の表現にはなりません。マーク・ピーターセンは『日本人の英語はなぜ間違うのか?』で、中学校の英語の教科書をチェックして、妥当でない表現をあげています。
ヘンな英語になるときの特徴として、最初に、[代名詞を使わず、同じ名詞を繰り返して使う](p.13)点をあげています。わかりきった同じ言葉を使わずに、「it」などの簡単な符号を使えば、煩わしい感じがしないでしょう。日本語と似たことをしているのです。
2 わかりきったものにイライラする感性
ピーターセンは中学教科書にあった英文を例示して、それが英語を母語とする人間にとって、なぜ変な感じがするのか示しています。第8章は[単語の無意味な「繰り返し」を防ぐには?]という章題です。わかりきったことを繰り返されるとイライラします。
たとえば「He was shocked to see a lot of sick people who were suffering from huger and illness.(彼は、飢餓と病気で苦しんでいるたくさんの病気の人を見て驚いた)」(p.153)という文を見ても、われわれ日本人の多くは妙な感じがわかりません。
しかしネイティブの人なら、[こういう文を見ると“sick people”なら“suffering from illness”に決まっているだろう、といらいらし]ます(p.153)。「He was shocked at the number of people suffering from hunger and illness.」ならよいのです。
3 英語と日本語に共通する発想
日本語でも、「私は」「私は」と何度も言われると、ヘンな感じがします。「私は」の2語くらいでイライラするのはおかしい…とは言えないでしょう。洗練されていない文だと感じるからです。英語にも、こうした感覚と同類のものがあるということでしょう。
ピーターセンがあげた上記の文でも、「to see a lot of sick people who were」のところを、「at the number of people」に変えることによって、[すっきりした英文になります](p.154)と書いています。こうした感じは、わかる気がするのです。
日本語では、叙述の部分が文末という定位置に置かれますから、叙述が何であるかに迷うことはありません。主体がなくても困らないのです。英語の場合、主体と叙述の接近した配置によって、叙述の部分とその主体が誤解なくわかる構造になっているのでしょう。
文末に叙述部分を置く日本語では、叙述の誤解が生じないため、その主体が何であるかという点が問題になります。主体がわかる場合に、それを記述しないほうが、すっきりするのです。発想の面では、日本語の場合も英語の場合も、類似しているように思います。