■連載第12回「新しい用語の創造」の概要 現代の文章:日本語文法講義

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1 優先される語彙の開発

日本語の近代的な散文を作るためには、語彙と文法の両方を開発することが必要でした。両者はともに必要ですが、同時並行的に作られたわけではありません。どちらが優先されたのか。千野栄一は『外国語上達法』でS先生という語学の神様の話を紹介しています。

▼単語のない言語はないし、その単語を組み合わせて文をつくる規則を持たない言語はない。すなわち、何語を学ぶにしても、この二つを避けて通るわけにはいかない。
そして、S先生はいとも簡単にこの二つという指摘をなされているが、この語彙(一つの言語にある単語の総和)と文法、という順番がまた大切な意味を持っている。まずは単語を知らなくてはダメである。 pp..41-42 『外国語上達法』

用語が不可欠なのは、おわかりでしょう。用語の日本語訳を作るとき、漢字2文字で作るということが一般的になされてきました。ただし英語の「フォーカス」から「焦点」という訳語はなかなか思いつきません。この点を渡部昇一が、以下のように指摘しています。

▼「フォーカス」を語源辞典で引くと、ラテン語で「いろり」という意味である。しかし、明治の人たちは、みんな蘭学をやっていたので、オランダ語でちゃんと意味をとって、「ブランドプント(brandpunt=燃える点)」と訳していたのである。 p.164 渡部昇一『歴史の読み方』(祥伝社文庫版)

     

2 訓読みできる基本的な漢字の威力

こうして日本語になった漢字からなる用語には、英語と比べても有利な点がありました。鈴木孝夫は『日本語と外国語』で、英語の用語の場合、[字面を見直してみても、なるほどそうかと思う手がかりが、どこにもない](p.128)ため、暗記するしかないのです。

日本語はこれとは違います。[日本語では、日常的でない難しい言葉や専門語の多くが][日常普通に用いられている基本的な漢字の組合せで造られている]ため、たとえば「浸透圧とか浸出液など」といった用語でも、何となく意味が解るのです(p.129)。

日本語では、漢字を音読みだけでなく、訓読みをしてきました。訓読みが出来る基本的な漢字なら、意味内容が推定できます。訓読みがないと、簡単に意味が取れません。「蛋白質」という用語では実態がわかりませんが、じつは「蛋」は「卵」のことでした。

「卵白質」ならば、卵の白身の成分のことか…と何となくわかるのです。訓読み可能な基本的な漢字が理解できるなら、日本語の場合、[言語の専門家でもない普通の人が高級語彙を作れ](p.149)てしまうのです。これは日本語の有利な点だと言うべきでしょう。

     

3 知識・情報の土着化

日本語が近代的な散文を開発していくときに、不足していた用語を整備することから始める必要がありました。用語がなくては、文章のスタイルを整えても、意味内容を伝達することが出来ません。日本語の場合、漢字が使えたのはラッキーなことでした。

こうした努力がなされたために、日本語は近代的な散文を開発することが可能になっていくのです。用語づくりが優先され、欧米で使われている用語が日本語にないということは、まず考えられなくなりました。佐藤優が『悪魔の勉強術』で言及しています。

▼シンガポール国立大学とか、中国の精華大学では、国際金融や物理学の授業は英語でやっていますが、それには歴然とした理由があるんです。グローバル化の影響では決してありません。英語のテクニカルタームや概念を、中国語のマンダリン(北京語)に訳せないからです。つまり、知識・情報を土着化できていない。その点、日本語で情報を伝達できる力というのは、日本が誇れる試算であり、長年の努力の成果だということを、再認識すべきですね。 p.66 『悪魔の勉強術』(文春文庫版)

日本語の場合、英語をはじめとする専門用語や概念を理解し、日本語に取り入れていくことが可能でした。日本語がもつ有利な条件を利用して、用語が整備されてきました。そうなれば語彙の整備に続いて、新しい文体、文章のスタイルが必要になってくるでしょう。

    

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