■邱永漢『中国人と日本人』の楽観論とその根拠:なぜ間違えたのか

     

1 予測を間違えた楽観論

邱永漢の『中国人と日本人』を読み返しました。1993年に出された本です。書名を見ると、中国人が先になっているように、邱永漢はこの本で中国人の立場で書いていたという記憶がありました。出版直後に一度読んだはずです。そのとき違和感がありました。

当時ざっと読んだだけの本ですから、何となくの記憶しかありません。しかしソ連が崩壊した後の時期ですから、共産中国の行方が気になっていました。そして、こりゃダメだと思ったのです。そのあたりを確認して見ました。ああ、やはりかというところでしょう。

邱は[今後も中国人の思想や行動原理を変える試みは成功しないものだろうか。いつまでも専制的官僚政治に甘んじ、民主主義とか法治とか公益優先と縁のない社会を維持するのだろうか][私はたぶん、そうではないと楽観している]と書いていました(p.105)。

      

2 楽観論の根拠

べつに邱永漢ばかりが間違えたわけではありません。中国が民主化するというのは、1993年当時、極論とは言えませんでした。ただ楽観論は少数派だったでしょう。民主化などありえないとの悲観論が優勢でした。間違い方がどうだったのかが問題になります。

邱永漢の楽観論の根拠はよくあるものでした。[一足先に経済の発展を軌道に乗せた台湾や香港やシンガポールの動きが、すでにこのことを証明してくれている](p.105)と書いています。台湾を中国の一部だと考えると、こうした考えになるのです。

▼経済の長足の発展はやがて政治思想に大きな影響を与える。かつて官僚専制を地で行った台湾で経済が発展し、GNPが急速に上昇し始めると、国民党の一党独裁は解消され、人権を尊重する気風がいまれた。台湾は中国人にとってテスト・プラントみたいなものだが、台湾で起こったことなら、大陸でも起こる。 p.164

     

3 テスト・プラントにならない台湾

台湾と中国は違ったのです。国民党の独裁が解消されたら、台湾の考えが表に出てきました。台湾のケースは、とても中国人にとってのテスト・プラントにはなりません。もはや、こんな考えはなくなったでしょう。しかし、かつてはそんな考えがありました。

たとえば、ウクライナがロシアではないのは明らかですが、ロシア側から見たら、中国にとっての台湾と同じ扱いなのかもしれません。結果として、侵略が決定打を与えました。ウクライナはもはやロシアに対して、心を開くことはないでしょう。台湾も同じです。

1996年、台湾総統選挙で直接投票が実施され、李登輝が総統となり、2000年の総統選挙で平和的に政権移譲が達成されました。こうした政治的な流れが生まれるには、相当長い年月が必要です。今後、ウクライナは、台湾の後追いをすることになります。

[自分らこそ世界の文明文化の中心に位置しているという中華思想が頭にこびりついていて、人に学ぶという謙虚さに欠けている](p.68)と邱は書いています。これ以降の10頁で「漢字の国とカナの国」の比較をしているところが、この本の一番良いところでした。