■専門書の翻訳が日本語を論理的で明快・正確にした:川島武宜『ある法学者の軌跡』から

     

1 日本語の構造の不備

日本語の文章をチェックする講座と、日本語の読み書きの実力養成の講座が今期から始まります。二つを分けていただいたので、テキストを作るのが、ずいぶん楽になりました。日本語は苦労して近代化してきましたので、まだ文法が確立していません。

こういう話をすると、どうもよくわからないという人がでてきます。川島武宜の『ある法学者の軌跡』を見ると、「日本語に敏感になること」という小見出しをつけて、谷崎潤一郎の『文章読本』のポイントを引用して、[さすがに大谷崎先生だ]と記しています。

谷崎は[西洋から輸入された科学、哲学、法律等の、学問に関する記述]は[緻密で、正確で、隅から隅まではっきりと書く]べきものだが、[日本語の文章では、どうしても巧く行き届きかねる]、これは[日本語の構造の不備に原因している]と言うのでした。

       

2 谷崎潤一郎『文章読本』の指摘

谷崎の『文章読本』は1934(昭和9)年の出版です。当時の状況とさして変わっていないと、川島は考えているのです。[谷崎自身も、日本語というものは法律だとかサイエンスには適しないということを言っている](p.153)と言い、さすがに谷崎だと称賛します。

川島の『ある法学者の軌跡』が出たのは、1978(昭和53)年でした。谷崎の本から44年たっています。この時になっても、谷崎の言う通りだということです。学問に関する記述、法律だとかサイエンスに関する記述について、自分の経験を以下のように語っています。

▼私が外国語の本の翻訳をしていて感じたことですが、物事を正確に表現するということが、日本語では非常に難しいのです。ことに、少し論理的思考の過程が込み入ってくると、それを精密に明瞭に表現するということは、しばしば非常に困難である。

    

3 翻訳で苦労した人の貢献

川島は日本語への翻訳の観点から、[日本の翻訳を見ますと、昔に比べれば最近はずいぶんいい翻訳がたくさん出て]いる点を認めています(p.158)。そして[いい翻訳がたくさん提供されたなら、日本の学問は非常に進歩するのではないか]と言うのです(p.159)。

ここで川島は大切な指摘をします。翻訳が日本語を変える可能性を示すのです。[翻訳で本当に苦労した人が書いた論文の文章というものは、日本語としても、大体において非常に明快、正確だと思います。これは一般的に言えることだと思います](p.159)。

学術的な外国語の文章を、明快で正確な日本語にしようとして苦労することによって、日本語の文章が論理的になってきたのです。戦後になって、いい日本語の翻訳本が出はじめて、2000年になる頃にはそれが逆転して、おかしな翻訳が例外的になりました。

欧米先進国の学問を、違和感のない日本語で記述できるようになるのに、百年以上かかったのです。「翻訳で本当に苦労した人が」日本語を論理的で「明快、正確」なものにしたと評価されるべきでしょう。川島のこの本は、日本語についての大切な文献といえます。