■日本語のグローバル化:知識・情報の土着化と文法ルール
1 日本語は日本の誇るべき資産
日本語がグローバル化したのはいつ頃でしょうか。明確ではありませんが、1934(昭和9)年の谷崎潤一郎『文章読本』では、[緻密で、正確で、隅から隅まではっきりと書く]ことは[日本語の文章では、どうしてもうまく行き届きかねる]と述べています(p.69)。
谷崎は[西洋から輸入された科学、哲学、法律等の、学問に関する記述]を『文章読本』の対象外にしました。まだ十分成熟していなかったようです。2017年刊の『悪魔の勉強術』で佐藤優は、日本語が[知識・情報を土着化でき]た点を評価しています。
▼シンガポール国立大学とか、中国の精華大学では、国際金融や物理学の授業は英語でやっていますが、それには歴然とした理由があるんです。グローバル化の影響では決してありません。英語のテクニカルタームや概念を、中国語のマンダリン(北京語)に訳せないからです。つまり、知識・情報を土着化できていない。その点、日本語で情報を伝達できる力というのは、日本が誇れる資産であり、長年の努力の成果だということを、再認識すべきですね。 p.66 『悪魔の勉強術』(文春文庫版)
2 文章の自由化・民主化
日本語がグローバル化したなら、大学の講義で英語をあえて使う必要はなくなります。すべて日本語で済ませることができるのです。佐藤の言う「知識・情報を土着化」は、明治のころから進められ、日本企業の海外進出の頃、一気に成熟したものと思われます。
トヨタ自動車が北米に進出したのが1986年でした。この頃、英語での記述法で苦労していたという話を、勝畑良氏から聞いたことがあります。マニュアルの記述の仕方について少しお手伝いしたとのことでした。まだそんな時期だったとのことです。
1990年代の後半にはPCが普及し、大学の卒論も手書きからデジタル文書へと変わりました。紙媒体だけでなく、電子媒体で文章が読まれるようになっています。おおぜいの人の文章がネット上にあふれ、この頃、いわば文章の自由化、民主化が進んだようです。
3 文章ルールを整理するとき
どうやら用語も、自然にある種の標準化が進み、たとえば「シュムペーター」よりも「シュンペーター」が優位になっています。「ベートーヴェン」と「ベートーベン」はまだ均衡状態でしょうか。用語だけでなく、言葉づかいも標準的な言い方が確立してきました。
かつては「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました」という言い方がめずらしくなかったでしょう。いまでは「いました」か「住んでいました」です。動く生物には「いる」がつき、物・事・動かない生物には「ある」がつきます。
日本語は混乱して混沌たる状態のようにも見えましたが、使う側の各人の選択によって、自然に落ち着きどころを見いだそうとしているようです。これは人為的な標準化とは違って安定性があります。未知の人に向けて書かれた文章の量が飛躍的に増えました。
文章ルールを整理する時期にきたようです。20世紀最後の頃から、ある時期まで、外国人向けの日本語文法が日本人にも新鮮でした。しかしどんな水準か、留学生に聞いてみればわかります。英文法と比較できる水準の日本語文法は存在しません。これからです。