■文学がわかる人:マーク・ピーターセン『英語で発見した日本の文学』

      

1 特別な存在の『山の音』

マーク・ピーターセンの『英語で発見した日本の文学』は、とても興味深く読んだ本です。この人は、母語でない日本語できちんとした文章を書いています。そして、文学がわかる人だと感じました。引用箇所が的確で、どれもが魅力的な文章を選んでいます。

川端康成の『山の音』について、[大学時代にこの作品を英訳で読んだときには、これこそ本物の文学だと、嬉しい気持ちになった]とあります。訳者はサイデンスティッカーでした。日本語で読むと[もう感動のレベルが全然違った]とのこと(p.26)。

[川端の小説で、私の最も愛する『山の音』](p.187)は、特別な存在だったようです。日本語を勉強しようと思ったのは、[昔、川端康成の小説『山の音』を英訳で読んで感激し、原文で読んでみたくなったのが、そもそものきっかけ]とのこと(p.25)。

      

2 優れた小説『細雪』

同じくサイデンスティッカーが翻訳した『細雪』について、[この英訳のおかげで、私は谷崎潤一郎の、小説家としての本当の偉大さがわかったといえる]と記しています。さらに[原文で読んでみて、いちだんと感心した]とのことです(p.36)。

▼日本語を母国語としない私のようなものには、センテンスの長い分ほど、たいてい意味がつかみにくく、読むと疲れるものなのだが、『細雪』の日本語には、そういった現象を一度も感じたことがない。 p.40

さらに[『細雪』には、物語としての流れにも、良いリズムがある]と指摘しています(p.44)。[読むと、谷崎潤一郎がこの小説で完璧に作り上げた世界に、しだいに吸い込まれてしまうのだ](p.45)、それは[優れた小説の本来の力]だろうと言います(p.46)。

      

3 漱石の評価

ところで、谷崎の文章が読みやすいのは、「欧文めいた構造」であることが原因だと、丸谷才一が『文章読本』で書いていました。ピーターセンは、[谷崎の日本語が“欧文的”だなんて、そんな馬鹿なと思って](p.41)、当然ながら、否定しています。

三島由紀夫ならば「欧文めいた構造」と言えますが、谷崎は違うと、ピーターセンは考えます。丸谷の文章に[腹が立っ]たものの、さらに読むうち、[こういう独断的な話を持ち出されたのでは、腹を立てた自分が情けない気もしてくる](p.43)のでした。

漱石について言えば、[マーク・トウェインのような][圧倒的な頭の良さで、偉大なる小説を創造した]人物です(p.49)。[英訳で読んでも、明治時代の彼が、欧米の文学の形式と心を完璧に把握していることが、はっきり分かる](p.51)と高く評価しています。

[どうして一人の人間がそこまでできるのか、とつねに不思議に思う漱石が、近代日本を代表する文豪と評価されているのは、当然だと思う](p.51)のでした。ピーターセンは、日本文学を広く読んでいますし、その評価は信頼できると感じます。よい本です。