■文法は絶対的ではないが必要な存在:不明確な要素と構造
1 モノの要素と構造
モノには要素と構造があると、畑村洋太郎は『創造学のすすめ』などで何度も語っていました。その通りでしょう。しかし要素を簡単に抽出できないことがあります。要素の概念が明確にされないまま、それらを要素として扱うことがあるということです。
要素だけでなくて構造においても、すべてを明確にできるとは言えません。標準化できない領域が残る方が普通でしょう。たとえば言語の分野では、言葉を要素と構造で明確に説明することは不可能です。要素や構造にかかわる用語が、統一的に定義できていません。
「主語」も「主題」も統一的な定義がないことからもわかる通り、用語の定義は人によってブレています。言葉の持つ性格からしても、統一的で確定した定義など、期待する方が間違いかもしれません。要素と構造の概念を、少し修正したほうがよさそうです。
2 習慣的・経験的な運用
少し雑な言いかたになりますが、言葉の場合、断片と組立があって、それがピタッといくことが文の仕組みになっている感じがします。断片には間違いなく夾雑物が混ざっています。純粋な概念ではなくて、要素とは言いにくいものかもしれません。
組立も、結果としてうまくいったものという感じがあります。きちんとした設計図があって、標準的な手順に従って作り上げたものばかりではなさそうです。こういう大雑把な概念で、習慣的に経験的に運用していることも、しばしばみられます。
言葉の性格からすれば、要素と構造と言うほどの厳密性がない代わりに、共通性のある断片とある種の決まりにそった組立によって成り立っていると言えそうです。この場合、運用のために、どんな仕組みを採用しているのか、それを論じるのが文法になります。
3 文法は絶対的ではないが必要な存在
明確な要素が抽出されず、構造も標準化されていない場合、ブレが生じるのは仕方ありません。それらを許容する必要があります。結果として出来上がった形式を、的確に運用していかなくてはなりません。そこで習慣的・経験的な正しさの確認が必要になります。
文の要素も文の構造も明確になりませんから、すべての領域に関して統一的なルールがないということです。ある種のルールにそって運用していくことになります。それでよしとする同意が習慣的・経験的に形成されていけば、それが運用の仕組みということです。
こうした点に関しては、ビジネスの場合も同じでしょう。明確で統一的なルールがある領域ばかりではありません。ある種の決まりにそって運用されています。それが結果として成果を上げていれば、問題ありません。同時に社会に存立するための基準があります。
ビジネスの場合、成果を上げることと、社会で存立する条件にかなうことが必要です。言葉の運用に関しても、簡潔で的確であること、運用しやすいといった点が受け入れられて仕組みが形成されます。文法は絶対的な存在ではなくて、必要な存在ということです。