■読み方の王道と日本語文法:小松英雄『丁寧に読む古典』から

     

1 古典文法を排除した繊細な読み

日本語のルールを抽出して、それを使って文章を読み書きしようなどと考えることは、ある意味、おそろしいことです。小松英雄の言葉を思い出します。『丁寧に読む古典』で[古典文法を排除すると、はるかに繊細な読みかたができる](p.12)と書いていました。

実際この本で、紀貫之の「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける」の読み方が、ほとんど間違っていたことを、解説しています。「あなたは、さあ、(その気持ちは) どうだか知らないが」といった訳文が「支離滅裂」なのは確かでしょう。

小松も一切の文法を否定しているのではありません。[初歩の英文法にも出てくる程度の、名詞とか副詞とかいうレヴェルの用語は別として、古典文法独特の、前時代的で難解な用語を持ち込まないこと](p.12)が必要です。個々の文脈を重視することになります。

     

2 日本語話者の感覚を活かして素直に読み取ること

[なにかを説明する場合に、だれでも同じ意味に理解できる言葉で表現することです](p.11)と、小松は記しています。ルールを当てはめて、お手軽に意味が確定するような文法などありえません。それぞれの言葉の意味が的確に選ばれる必要があります。

古典の場合、原文で使われている言葉の意味が、必ずしも明らかではありません。意味の確認が必要になります。現在わたしたちが使っている用語にしても、その意味が明確になっていなくては、文のルールを問う以前に失格ということになるでしょう。

したがって、[因習的な古典文法に邪魔されずに、日本語話者の感覚を活かして素直に読み取る](p.25)ことが必要です。外国人向けの文法でなくて、日本人向けの文法である場合、「日本語話者の感覚を活かして」ということが文法構築の前提になります。

     

3 文法に先立つ個々の語句の意味・用法

古典の物語や和歌を読むときと違って、現代のビジネス文ですから、ずっと気楽に読み書きできるはずです。その際、必要なのは最小限の用語のみのシンプルな文法です。あとは各人の読みに委ねられます。小松は、紀貫之の和歌を以下のように解釈しました。

▼私の心も知らずに、と鬱屈した思いでいたら、そこに梅の花が咲いていました。故郷に住む親しかった相手に裏切られて沈んでいた作者の心はにわかに明るくなりました。故郷は、梅の花が昔通りの香りでちゃんと咲き匂っているではないか、やはり、ここはなつかしいふるさとだったのだ、ということです。 p.28

こうした解釈に至るまでの小松の解説に興味のある方は、どうぞ『丁寧に読む古典』をお読みください。的確な読みをするのに、お手軽方式はないということです。文法の使いかたも問題になりますが、読みの王道は、以下の言葉から見えて来るものと思います。

▼古典文法のメダマは助詞・助動詞だ、と古文教育で強調されていると聞きますが、ただ一首の和歌の表現を解析してみただけでも明らかなように、一番大切なのは個々の語句の意味や用法をきちんと把握することです。そうすれば、語句と語句とを結びつけて表現を形成する助動詞の機能も自然に理解できるようになります。その逆の過程で文章が読めるようになることはありません。 pp..29-30