■『日本語の世界 第6巻 日本語の文法』を読む 第1回

    

1 20世紀末の代表的な日本語文法書

「日本語の世界」という16巻からなるシリーズが1980年から刊行されました。1981年に第6巻「日本語の文法」が北原保雄の執筆で出ています。この本を安西徹雄が、『スタンダード英語講座[2] 日本文の翻訳』で[参考になる][役に立つ]と勧めていました。

9つの章からなる350頁程度の本です。20世紀末の日本語文法の本のなかで、代表的な本と評価され、基本書にもなりうるものであると評価されました。参考になる点、役立つ点を見つけるために、もう一度読んでみるのも無駄ではなさそうです。

第1章「文法について」(2頁-34頁)。現在の教育では、[文法の勉強をして、なるほど日本語にもこんなに素晴らしいきまりがあったのかと驚き、感動し、そして日本語の文法に興味を持つようになることを期待するのは、無理である](p.4)とあります。

     

2 整備されていない日本語文法

北原は、清水幾太郎『論文の書き方』にあるフランスの例を提示(p.6)します。[フランスでは、既に小学校で文章の文法的分析を教えている][「フランス語」という科目の主要な内容になっている]と清水は書いていました。日本でもかくあればということです。

しかし日本語の文法はまだ整備されていません。学校文法とも呼ばれる「規範文法」ではダメだというのが北原の考えです。[規範は何を基準にして決められるのであろうか](p.10)と疑問を呈しながら、規範は変わるからというのでは説得力がありません。

「口語文法」についても、戦前・戦後を通じて[書き言葉としての口語]が対象になっていた(p.17)と言いながら、戦後に[口語文法は、書き言葉の文法と話し言葉の文法を合わせ含む曖昧なものとなった](p.18)とも書いています。わかりにくい話です。

     

3 「雨が降りそうだ」「雨が降るそうだ」

第1章で北原が言うところを見ると、この本が出版された1981年時点で、日本語文法はまだ整備されていなかったということがわかります。フランス語で文法的分析をするように、日本語で文法的分析をするのは無理でした。文法が未整備では仕方ないことです。

北原は「文法的に考えるということ」という見出しを立てて、よい例文をあげています。「雨が 降りそうだ。」と「雨が 降るそうだ。」の違いについて、文法的に考えると、どうなるのでしょうか。これではダメだという例が北原によって提示されています。

▼前者では「そうだ」が「降る」の連用形に下接しており、後者ではその終止形に下接している。そして、「そうだ」は活用語の連用形に下接した場合には様態の意を表し、終止形に下接した場合には伝聞の意を表す。つまり、形態の違いによってそれに託される意味が違ってくるのである。 p.28

ここは、「雨が 降りそうだ。」は…(私が見たところでは)という自らの推定を表現し、「雨が 降るそうだ。」は…(私が聞いたところでは)という自らが聞いた他者の推定を表現しています。後者は「雨が降る」と他者が言っていたということです。

       

    

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