■『日本語の世界 第6巻 日本語の文法』を読む 第2回

     

1 「文とは何か」

北原保雄『日本語の文法』第二章は「文とは何か-文法論の対象-」となっています。文章論の過去の見解を検討したうえで、[文章と文とが区別され、文章は文法論の対象から除外されることになった](p.48)、本書でもその見解に従うということです。

そう言いながら、すっきりいかない点があるのでしょう。さらにいくつかの問題を検討しています。そして[文にはまず統一性がなければならない。つまり、統一性は文であることの必要条件である](p.53)と記します。では統一性とは何でしょうか。

北原は[文がどのようにして統一されるか、あるいは、文にはどのようにして統一性が与えられるか、という問題が、重要な研究課題となってくる]とのこと(p.53)。しかし[文は統一性だけでは文とはならない](p.57)ともあります。いろいろご苦労なことです。

     

2 生産的でない議論

以上みられるように、もはや時代からずれてしまった議論がなされている感があります。文として完結していることは大切なことです。その責任は書き手にあります。文が完結していると認識させることは書き手の責任です。しかし、こうは言えないのでしょう。

書き手が句点(。)をつけていたら、ひとまず文が完結しているとの推定が働きます。完結していないのに句点がついている場合もあるでしょう。しかし書き手は、それを例外にする必要があります。「文とは何か」との議論は生産的なものではありません。

実際、北原は[フリーズ(C.C.Fries)によれば、文の定義は二百以上もあるがいずれも完全に満足のいくものではなく、定説といえるものがないというのが実情である](p.66)と書くことになります。あれこれ議論する必要はなかったということでした。

      

3 文章論の対象9項目

これでは第二章に何ら内容のあるものがなくなってしまいます。北原はこの章の最後に「文法論の対象」を9項目列記しました。(1)(2)が形態論、(3)以下が構文論、このうち(3)(4)が品詞論、(5)-(7)が文の成分論、(8)(9)が文論の課題だということです。

▼本書のことばで、分析的に述べなおせば、
(1) 単語はどのようにして構成されるか。
(2) 単語にはどういうものがあるか。
(3) 単語はどのようにして文の成分を構成するか。
(4) どういう単語がどういう文の成分を構成するか。
(5) 文の成分とは何か。
(6) 文の成分にはどういうものがあるか。
(7) 文の成分はどのようにして文を構成するか。
(8) 文とは何か。
(9) 文にはどういうものがあるか。

こうやって列記してもらうと、何が課題になっているのかが見えてきます。ただ、この9項目には濃淡がありそうです。問題になるのは、文の分析方法です。この中で言えば、どういうふうに品詞が区分され、構文をどう構成するのかが問題になります。

北原は、第一章でフランスの小学校で文法分析をしている事例を取り上げていました。それが出来るようにする日本語文法が必要です。しかし、それを可能にする文法的な装置が日本語にはまだありません。そのためのヒントをこの本から読み取りたいと思います。

       

     

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