■資料を読みこむ理由:自分の問題を解決するための触媒
1 理解のためのテキスト
勉強会を開きました。企画を出すための勉強会です。そのためにいくつかのテキストを指定して、読んでおいてくださいということになりました。実際に企画を出さなくてはいけませんから、まじめな対応になります。当然、すぐに購入して読んでいました。
こういう場合、こちらも相当一生懸命やらなくてはなりません。指定した本を読んだ前提で、レジュメを作っておきました。それを確認してから議論を進めようということです。ところが実際に会って話をしてみると、状況が少し変わっていました。
新たな要望があって、まず優先すべき商品が別のものになるかもしれないということです。詳細な話を聞いてみると、もはや前提が違っていました。予定を変更して、別の企画にするしかありません。こんなことはよくあります。驚くことではありません。
2 チャンスになる再読
企画の対象が変われば、話は変わります。担当者との話は、事前に準備しておいたテキストや、それに関連したレジュメとは関係ないものになりました。おそらく新たな対象の企画が終わったら、その後に、もう一度事前のテキストを使うことになるでしょう。
しかし、もはや状況が変わっている場合には、内容確認をして、もう一度、別の観点から読むことになるでしょう。再読の前の確認は必要です。一度読んだものの確認をすることで記憶が喚起されますし、わかっていなかった点がたくさん出てきます。
必要があって一気に読むのですから、資料の読み込み不足が次々出てくるのは、自然なことでしょう。これらを確認して、もう一度読むことは、もはや別の人が読むのと同じことです。これによって実力がアップします。こんなチャンスは、そうそうないことです。
3 自分の問題が主
一度読んだ本を、もう一度読む人は少数でしょう。読みが甘かったと気がついても、まあいいかということになりがちです。それだけ価値ある本も、たくさんはないかもしれません。しかし本の価値と、そこから吸収できることとは比例しないものです。
大したことないと思われた本や資料をヒントにして、素晴らしい企画を立てた事例は、実際にあります。読む側に必要なことがあって、それを見出すために読むべき資料を必要とする場合、資料の全体的な主張を理解した後に、ある特定な部分に目が行くようです。
筆者の主張に寄り添いながら、ある部分を見出すことがあります。そういうときに、しばしば分かったということになるのです。この場合、筆者の主張の真意や、その内容が分かったということではありません。自分の抱いている問題がわかったということです。
資料がある種の触媒になって、自分の問題が分かったり、自分の問題の解決策が分かったりします。自分の問題が主で、資料の内容は従になっています。先の勉強会のレジュメは作り直さなくてはなりません。しかし読むべきテキストは、同じままで行けるはずです。