■国語の問題:最重要視されるべき基礎的理解

     

1 「倭の奴国」「倭国王」「倭国」の「倭」

ある時、これは国語の問題だと思うことがあります。いわゆる一番基礎にある読み方のところで違いが出ていると感じることがあるのです。いったん適切だと思える読み方が提示されてしまうと、基礎にかかわるところだけに決定的な違いを感じることになります。

上田正昭『私の日本古代史』(上下)は「第一人者が展望する決定版通史」とうたわれた本です。いま、少しずつ読んでいます。一般向けの本ですから、丁寧に読めば、わからないことはありません。われわれでも日本史の専門家の考えの一端がわかるはずです。

上田は『漢書』地理志、『魏書』東夷伝に対して、『後漢書』東夷伝における記述の中に[独自の伝承として注目すべき]点があることを指摘しています(上 p.98)。そこにある「倭の奴国」「倭国王」「倭国」という記述をどう解釈するかが問題になりそうです。

     

2 「倭国王」の解釈

上田は[「倭の奴国」「倭国王」「倭国」はいずれも、北九州を中心とするものであろう](上 p.98)と推定しています。この本は2012年に出されたものです。1980年に書かれた宮﨑市定の「記紀をどう読むか」は無視された形になっています。

宮﨑は東洋史の専門家ですから、日本史を専門とする学者ではありません。しかし日本史は東洋史に含まれます。あえて無視する理由があるのかどうか、内容から見ていくのがよさそうです。上田の推定は正しいのでしょうか。宮﨑の見解と違っているのです。

宮﨑は「倭国王」という言い方をもって[倭人の間に統一政権が成立したことを示すもの]と解釈しています。[同じ東夷伝の前文]で[大倭王の存在を伝えている](『宮﨑市定全集21』p.261)からです。ここで何が問題になっているのでしょうか。

     

3 称号と尊称の違い

宮﨑は「倭の大王」と「大倭王」の違いを言います。1978年の「天皇なる称号の由来について」で、[「大王」と言っても、その本質は単なる王なのであって、王の外に大王があるわけではない]点を指摘しています(『宮﨑市定全集21』p.273)。

王の中の王を示す場合、[中国では大の字を国号の上に冠せられて大倭王と称するのが例で、これならば正式に称号としても通用する]ことになります(全集21 p.261)。「倭国王」を「大倭王」としている以上、倭は「北九州を中心とするもの」ではないでしょう。

[「倭奴国」は、倭の奴国、すなわち三十許りの国の中の一国]であり、その後、[倭国王という称号が現れる。これは倭人全体を代表した名]ということです(全集21 p.246)。言葉の使い方は慣習であり文化ですから、簡単にひっくり返りません。

大王は称号ではなくて、尊称と考えられます。閻魔大王は閻魔王の尊称ということです。漢文のルールに沿って考えると、決定的な違いが出てきます。国語の問題だと感じさせられる事例です。通説がどうであれ、基礎的な理解が一番重視されるべきでしょう。

     

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