■文科系学問の水準が意味するもの:清水幾太郎『本はどう読むか』から

     

1 後光がさしているように見えた1930年前半のロシア

清水幾太郎の『本はどう読むか』を読むうちに、いままで忘れていた記述が見つかりました。ここに書いてあったのかという感じです。5章の「外国語に慣れる法」に、ドイツ語を習い、フランス語、英語、さらにロシア語を[やることはやった]とのこと(p.136)。

1930年代前半にロシア語を始めた頃、[ロシアという国に後光がさしているような時代であった]と清水は記しています。[資本主義諸国が恐慌や失業の波に弄ばれていたのに、ロシアでは着々と社会主義建設が進んでいるように見えていた](p.139)からです。

しかし[後になって、その頃のロシアの悲惨で野蛮な実情が明らかになった](p.139)のですが、こうしたことをほとんどの人は知りませんでした。ところが清水はロシア語の文献を読んでいたため、ロシアが後光がさすような国ではないと見破っていたのです。

      

2 イメージと文科系の学問水準の乖離

清水は『小百科事典』十巻をロシアから取り寄せて読みました。全部ではなくて、[社会学に関係のある項目を探し出して、一生懸命、これを読んでみた](p.139)ということです。その結果、ロシアに対するイメージが間違いだったことに気がつきます。

[社会学という項目にしろ、オーギュスト・コントをはじめとする社会学者を取り扱った項目にしろ、辞書は、粗雑な記述と口汚い罵倒しか与えていない](p.139)のです。これで学問のレベルがわかります。記述の方針も見えてくるでしょう。

英語の場合、清水は[パーク及びバージェスの共編に成る『社会学概論』]を購入しています。[これは、教科書とは言え、アメリカ社会学の画期的な業績である](p.139)と評価しています。ロシアとアメリカでは、まったく競争にならない学問レベルでした。

      

3 本気で読むべき本は少ない可能性

即戦力になる科学技術の場合、専制主義国で異様な発展を見せることがあります。しかし社会との関わりのある、多くの文科系の学問の場合、自由主義の思想がないところでは発達しにくいようです。これは最近のことではなくて、20世紀前半でもそうでした。

ノーベル賞の多くが科学技術にかかわる理科系の学問です。ここでの日本人の活躍を喜んでいますし、今後にも期待しています。同時に日本の文科系の学問の水準は、どうなのか気になりました。理科系の学問ほどに、世界に通用していない気がするのです。

後光がさしているように見える国でも、文系の学問に魅力的な展開がなかったら、その国の実力・地力は大したことがないということでした。清水の本は1972年に出版されたものです。出版の約40年前、ロシアで顕著だった傾向は、現代でも変わらないでしょう。

21世紀になって、日本のノーベル賞受賞者が増えて、日本の学問水準が高くなったような印象がありました。しかし文科系の学問はどうか、世界に通用する日本の学者は誰なのか、気になります。本気に読むべき日本の学者の本は、少ないのかもしれません。

      

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