■あいまいな主語概念:主体の概念を使って構文分析

     

1 よい叩き台になる『日本のことばとこころ』の例文

最近の日本語教育の本では、主語を認めずに「主題と解説」で日本語の構造を説明するのが一般的です。これでは正確な意味をとることができません。主語の概念が不明確なままですから、主語という用語は使いにくいのは確かです。しかし方向が違うようです。

昨日、山下英雄の『日本のことばとこころ』を取り上げました。外国人向けに指導することは、日本語をもう一度考えるのにいい経験のはずです。ところが説明に詰めの甘さを感じました。それでも、この本がよい叩き台になることを指摘したいと思います。

山下は「…は…が」形式の例文を並べて「は」のつく言葉を主語とした上で、[「が」は、見方によっては主語でもあり、客語に近い対象語でもあるという、二重性を帯びている](p.146)としました。素直な感性であるがゆえに主語概念の問題が浮き上がります。

      

2 文末を意識すること

例文は「①太郎は英語が分かる」、②「船便は時間がかかる」、③「彼女は子供ができた」、④「社長は立場が異なる」、⑤「友達は宝籤が当たった」でした。「…は…が」形式の同じ構造だという前提に立ちます。その上で「は・が」の概念を探るのです。

文末だけを取り出すと「①分かる、②かかる、③できた、④異なる、⑤当たった」となります。①の「分かる」というのは、人がなしうる行為、「誰は…分かる」の構造です。ところが、②から⑤までの例文は、「…が」を主体とする構造になっています。

文末の主体を意識すれば、①の「分かる」のは誰か、「太郎」だとなります。②なら「かかる」のは時間です。③の「できた」とは可能のことではなく、「子供」ができたことでした。④の「異なる」のは「立場」、⑤の「当たった」のは「宝籤」になります。

      

3 明確な論理的な構造

文末を意識してみれば、主体が何になるかが分かるのです。①は「太郎は…分かる」を中核として、分かる対象が「英語」であることを示す構造になっています。山下の用語なら「太郎」が主語、「英語」が対象語となるのでしょう。この点、②以下は違います。

「は」のつく言葉を主語としたのがおかしいのです。②の「船便⇔かかる」には対応関係がないため、「船便は…かかる」が中核になると論理的な構造でなくなります。「かかる」のは「時間」ですから、「時間⇔かかる」を中核としなくてはおかしいのです。

「主体(S)+文末(B)」を意識すれば、明確性があって論理的な構造が作れます。この発想から、①の構造はS+Bを骨格とし、「英語」というキーワード(K)が加わって、S+K+Bの構文になっていると考えるのです。②以下は、S+Bの構文になります。

「時間がかかる/子供ができた/立場が異なる/宝籤が当たった」がS+Bとなり、ここに「…において」の情報が加わる構造です。「船便の」「彼女の」「社長の」「友達の」という形式で情報が付加できます。①だけは「太郎の英語が分かる」になりません。