■メニューインの「学習の三段階」と論語の言葉

       

1 メニューイン『ヴァイオリンを愛する友へ』

芸術をどうやって教えることができるのか、このことはかつて論争にもなったようです。芸術は感性に依存しています。それをどうやって教えられるのか、たしかに不思議な気がしないではありません。実際には教えられていますし、効果もあるはずです。

学ぶ側の視点を見ると、それがどんな効果なのか、何となく見えてくるかもしれません。ヴァイオリニストのメニューインが『ヴァイオリンを愛する友へ』の「刊行にあたって」に書いています。[今なお学習を続け、日々復習している]基本は以下でした。

▼学習には次の三つの段階がある。
・お手本による模倣
・正規のレッスンを受ける。この過程で生徒の分析・批評能力が目覚め、感情の伝達力・表現力が豊かになり、さらにスタイルの幅の広がりが明確になる。
・自分で勉強する。様々なヒント、お手本、機会、仲間・巨匠との出会い、個人研究など、ありとあらゆるものを利用する。
この三つの段階は別々のものではなく、常に並行して行われるものである。

      

2 教わる側の姿勢が問題

芸術を教えられるかということを考える場合に、教わる側の姿勢が問われている点が重要でしょう。教わる側が、お手本を見つけて真似をする意欲を持っているのか、さらに自分であらゆる機会に学んでゆく姿勢があるのか、ということが問われます。

自分で勉強しない人には、教えることができないということです。このことは芸術に限りません。しかし自分で学ぼうとする人に対してなら、どうして教えることができるのでしょうか。レッスンを受けると効果があることをメニューインは前提としていました。

どんな点に効果があるのかと言えば、[分析・批評能力が目覚め、感情の伝達力・表現力が豊かになり、さらにスタイルの幅の広がりが明確になる]ということになります。一般的な用語にすれば、分析力・伝達力・表現力・柔軟性が中核になりそうです。

     

3 共鳴する論語の言葉

学ぼうとする意欲のある人に対して、[様々なヒント、お手本、機会、仲間・巨匠との出会い]がある環境が与えられたなら、当然のように何かを学ぶことになります。あとは教える側が、その人に対して調整していけば、それが教えることになるはずです。

自分で学んでいくことは大切ですが、それだけでは自分で気がつかない点が出てきます。そのことを信頼する先生が指摘してくれたなら、それによって気がつくことがあるはずです。自己検証だけでなくて、信頼する他者からの検証がある点が重要でしょう。

こう考えてくると「論語」の言葉が思い出されます。為政第二「学んで思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し」。学ぶ意欲を持っていなくてはどうにもなりませんが、自分一人で学ぶことは独断に陥るリスクがあります。

芸術を教えられるかという問題は、学ぶこととはどんなことかを、高いハードルを設定して問うているということです。メニューインの「三つの段階」は優れた学習の指針だと思います。そうして改めて「論語」の言葉をかみしめることになりました。

     

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