■書き言葉が話し言葉をつくる:岡田英弘『漢字とはなにか』から

       

1 書き言葉が話し言葉の基礎

岡田英弘は『漢字とは何か』に収められている「書き言葉と話し言葉の関係」で、大切な指摘をしています。[よく錯覚する人がいるが、話し言葉を文字に写すことで書き言葉がつくられるのではない](p.281)ということです。

先に話し言葉が成立しているわけではありません。書き言葉が確立してから[書き言葉を学ぶことで話し言葉がととのえられてゆくのである](p.281)。書き言葉があるから、話し言葉が形成されていくことになります。言文一致のもとになるのは書き言葉です。

岡田は夏目漱石『三四郎』に登場する美禰子の言葉づかいに触れています。[「~ないんですもの」「~見ておりますの」といった言葉づかいは、それまでほとんどの日本女性が用いたものではなかった。それは、いわば漱石が作り上げたものだった]のです。

▼その新しい女性像とともに、当時の都会の若い女性たちが、進んだ女性はそうした話し方をするものだ、と真似をすることで広まっていったのである。 p.281 『漢字とは何か』

     

2 文字が言葉を豊かにする

岡田が主張するのは、[人間は文字を通して学ばなければ、言葉を豊かにはできない](p.281)ということです。日本が近代化できたのも、書き言葉が近代化されたからにほかなりません。それは明治以降のことでした。すぐに完成したわけではありません。

▼近代日本に共通語としての日本語が生まれたのは、日本人が義務教育で書き言葉を教えられたからであり、新聞などを読むことで自ら学んだからであり、軍隊生活で叩き込まれたからである。日本語は文字を学ぶことを通して一般化したのである。 p.282 『漢字とは何か』

もし書き言葉が成立していなかったら、[人々はそれぞれのお国ことばでのコミュニケーションにとどまっていただろう]ということです。かつてはなされていた日本語の方言でコミュニケーションを取ろうとしたら、相互の理解はかなり困難だったでしょう。

方言同士でのコミュニケーションに限界がある以上、もし話をしようとしたら方言でない手段を使うしかありません。知識人の場合、それは[漢文や候文といった書面を使っての意思疎通はできる](p.282)かもしれませんが、これはごく限られたケースでしょう。

      

3 共通のコミュニケーション・ツールが不可欠

岡田は面白いことを指摘しています。[江戸時代に武士階級で謡が教養とされたのも、謡の言葉が共通のコミュニケーション・ツールとなったからであろう]ということです。何らかの共通の伝達手段がないことには、話が通じません。

しかしもし謡が共通のコミュニケーション・ツールのままであったなら、困ったことになったでしょう。意思疎通の基礎を謡にしていたら、論理的な内容の話ができません。伝達される内容が伝達手段に制約されることになりますから、これでは困るのです。

新しい日本語が生まれなかったなら[近代化は相当に遅れてしまっていたに違いない](p.282)でしょう。[フランス語もドイツ語も、近代になって完成され、国民に強制されていった言葉](p.282)でした。日本語も、同じ経緯をたどったことになります。

     

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