■フランス語における書き言葉と話し言葉:篠沢秀夫『フランス三昧』から

     

1 フランス語の書き言葉

岡田英弘が言葉というのは、書く言葉の確立があって、それが話し言葉を形成させていくのだと書いています。『漢字とは何か』に収められている「書き言葉と話し言葉の関係」においてのことです。昨日のブログに、このことについて書きました。

ではフランス語ではどうでしょうか。岡田は[フランス語もドイツ語も、近代になって完成され、国民に強制されていった言葉](p.282)だと記していました。フランス語の事情について、篠沢秀夫が『フランス三昧』で記しています。ちょっと見てみましょう。

2部の「フランス語とは何だろう」のはじめに「世界一整然とした文法体系の謎」という見出しが立てられています。その答えは、[これほど整然としているのは、頭で考えて整理してあ]り、[それをビシッと教えてきた]からだということでした(p.103)。

このように、頭で考え、それを守るようにきっちり教えようとすると、無理が生じます。人工的なのです。[フランスではこういう高尚な文章体の文が書けないと大学まで行き着けない](p.113)ことになります。しかしことは、それだけにとどまりません。

     

2 フランス語の文章体と会話体との乖離

篠沢は太字で記しています。[フランスの文章体と会話体との乖離には、タダならぬものがある](p.113)というのです。「文章のようにしゃべるのが口述試験」(p.113)という見出しが両者の関係を明確に示しています。書き言葉が優先されるということです。

両者の違いがどのくらいであるかということも、見出しでわかります。「文章体と日常会話の差は明治並み」(p.109)だそうです。会話があって、それを文字に写したのが書き言葉ではない、ということがよくわかると思います。日本語でもフランス語でも同じです。

第2部の第3章の章題が[「良いフランス語」の誕生]となっています(p.132)。その先の小見出しをみると、「良いフランス語」の実態がどんなものであるかが見えるでしょう。「フランス語は文芸と宮廷が作った人工語」(p.144)だということになります。

      

3 「良いフランス語」の問題点

第2部の第四章の章題は[「良いフランス語」の強制](p.159)です。[地方の狭い地域の話し言葉である「パトワ」](p.163)について、[フランス人は自分のパトワで話すとき、「遠慮も劣等感もなく」話すことができない](p.170)と指摘されています。

篠沢は[「良いフランス語」の堅持は大事だが、その絶対性の心理的緊張が凄い](p.226)と言うのです。だからこそ[「言文一致」と「里ことば」の復権](p.223)という小見出しをつけたくなるのでしょう。フランス語にも大きな問題がありそうです。

篠沢は、[心理効果の意味でも、「パトワ」「里ことば」の様々なメディアによる文字化を通じての復権が必要であろう](p.225)といいます。[もう少しチャランポランでいい?](p.226)という言い方で、その面では日本が先行していますと指摘するのです。

     

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