■白川静の「論語の読み方」:『知の愉しみ知の力』から
1 孔子の直接的な言葉
渡部昇一と対談した『知の愉しみ知の力』で、白川静は『論語』の読み方について語っています。どう読んでいけば、よいのでしょうか。見出しに「『論語』を読めば孔子様とお話ができる」とあります。孔子の語ったそのままの言葉かどうか、点検していくのです。
述而篇に「丘の祷ること久し」とあります。孔子が自分を「丘」と言っています。内容も[非常に簡単な言葉で]あり、[その場合の問題に応じて、孔子がきわめて的確な回答をして]いて、[孔子の直接的な言葉に違いない](p.79)と白川は判断するのです。
子罕篇の「君子は多ならんや。多ならざるなり」も[念を押すように][いろいろ説明して納得させるというのではないんですな。もう全身全霊的]な[深みのある言葉です]。[こういうのが孔子自身の言葉なんです](p.81)と判断することになります。
白川は[「君子と言うものはむやみに物知りであるわけではない。物知りが君子であるのではないぞ。知識の問題ではないぞ」という意味]だと確認した上で、答え方からして、[孔子がちょっと嘆くような調子で言っておるのだと思う](p.83)と白川は言います。
2 孔子の人物像
『礼記』の記述から、[父と母の墓が離れてある]ことがわかる、[彼がれっきとした夫婦の子供であるならば、夫婦の墓は一つ](p.86)だと白川は指摘するのです。孔子も[奥さんを一度かえています]し、[子供の鯉も最初の奥さんを離縁してい](p.89)ます。
▼三世離縁を重ねているんです。これは儒教の教えとどうなのかね(笑)。それで「女子と小人とは養い難し」となったのではないでしょうかな。 p.89 『知の愉しみ知の力』
孔子は奥さんに[たぶん逃げられたのではないかという気がします](p.90)と白川はいいます。郷党編の「食は精を厭はず」(ご飯は精米をよいとして…)の章をみても、[この通り実践されたら奥さんは逃げざるを得ません](p.92)と白川は言うのです。
衛霊公篇の「君子固より窮す。小人窮すれば斯に濫す」(君子も困窮する。小人は困窮すれば悪事に走るが、君子は違う)は、[たぶん同行した人が記録している言葉だから、いくらか事実に近いでしょう](p.100)と、白川は孔子の言葉を読み解いていきます。
3 魅力的で有望なアプローチ
『論語』は[初めから一つの『論語』としてまとまったものがあったわけではありません][漢の時代には二十巻本もあり、二十二巻本もありました](p.75)。成立を推定すると、[おそらく一番初めにできたのは「河間七巻本」というもの]になりそうです。
▼『論語』に収められている上論十巻のうち、最初の「学而」と最後の「郷党」と「子罕」を除いたもの、つまり「為政」から「泰伯」までの七編だけをまとめたテキストであったといわれています。 p.76 『知の愉しみ知の力』
どうやら[「学而」には斉・魯の方言がかなり混じっていて、相当あとにつけくわえられたもの]らしく、[「子罕」も大体「学而」と同じような成立のもの]であり、[「郷党」になると最もあとからつけくわえられたもの](p.76)と考えられるようなのです。
河間七巻本は[少なくとも二代目か三代目ぐらいの弟子の時代にはもう成立していたということが論証できる]ことから、[河間七巻本を中心にしてみていくということになる](p.77)のです。白川静の論語の読み方は、魅力的で有望なアプローチだと思います。