■現代の文章:日本語文法講義 第22回概要 「河野六郎の主張する単肢言語」

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1 「既知・は」「未知・が」の破綻

「既知と未知」を「は・が」と結びつける考え方は、もはや日本語の文法学界でも否定的に扱われるようになりました。もともと無理な考えでしたが、1980年代まで主張されていたようです。日本人にとって、「は」と「が」の違いは気になるものとみえます。

しかし「既知・未知」の考えは、情報の流れとして大切な視点です。この視点を否定すべきではありませんし、それどころか「コメント・トピック」論との関連を否定することなどできません。これは以下のマテジウスの理論の原則に関わることです。

[1] 文は【主題(thema)=テーマ=題目】と【その説明(rhema)=レーマ=解説】からなる。
[2] 思考の流れは、【すでに知られているもの(発話の基礎=既知)】から【まだ知られていないもの(発話の核=未知)】へと流れる。

      

2 「主語の省略」ではない単肢言語

河野六郎は「日本語(特質)」で「両肢言語」「単肢言語」という言い方をしています。両肢言語とは、[主語と述語を常に明示しなければならない言語](p.98 『言語学大辞典セレクション 日本列島の言語』)です。日本語は、これとは違う単肢言語と言えます。

[日本語は、主語は必要に応じてしか表わさない。述語中心の単肢言語である](p.98 「日本語(特質)」)のです。ここで河野は主語がないということは、[あるべき主語を省略しているのではない]と記しています。主体がわかるなら、明示の必要がないのです。

この間の事情を千野栄一は『言語学への開かれた扉』でわかりやすく説明しています。「あなたは学校に行きますか」と「学校に行くの?」では違った文です。「はい、私は学校に行きます」と「うん、行くよ」では違います。前者はあえて主語を記した文です。

▼日本語で「あなたは学校に行きますか」、「はい、私は学校へ行きます」というのは正しい日本語で可能な文ではあるが、「あなたは」と「私は」が強調されている文で、「Do you go to school?」 Yes, I do.」の訳ではない。 p.93 『言語学への開かれた扉』

     

3 「主題・は」「主語・が」

千野の説明は、わかりやすい言い方ですが、正確性では問題があります。河野は[ハとガの違い]について[主題と主語の違い]だとして[助詞ガによって主語を示す](p.106 『日本列島の言語』)と主張しました。「あなたは」「私は」は主語ではないのです。

河野は「コノ本ハ、モウ読ンダ」という例文をあげて、「コノ本ハ」が主題だと確認します。文末の主体になる言葉がありませんから、例文には主語がありません。「は」接続の言葉が主題になるのです。例文は、主語なしで、主題のある文ということになります。

河野たちのいう「コメント・トピック」論の場合、「は」接続の言葉を主題とみなすことによって、客観的に【主題】+【解説】の構造をつかむことができます。「主題」と「は」の関係にぶれが生じないのであれば、この構造は安定したものです。

しかしこれだけでは十分ではありません。たとえば「貴方は適任」と「貴方が適任」の違いが説明できるようにならない限り、「は・が」の問題は解決したことになりません。「貴方は」は主題、「貴方が」は主語だという説明で納得する人はいないでしょう。