■小松英雄の大野晋批判

     

1 有名な学者だった大野晋

先日、連載の22回目を書きました。そこで大野晋の『日本語文法を考える』の「既知・未知」の章を取り上げています。連載21回で「既知・未知」について書いていましたが、大野の本に触れないわけにはいかないと思って、22回でも取り上げることにしました。

もはや若い人は、ほとんど知らない様子ですが、ある年齢層の人にとって、大野晋は有名な学者だったのです。「既知と未知」と「は・が」の関係も、「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんが…」の「が」と言えば、通じる人達が確実にいます。

私もその世代の一人です。最初に出てくるので、未知の情報だから「おじいさんとおばあさん」に「が」がつくのだと、教師などもそんな風に語っていました。一度出てきたからね、そのあとは「おじいさんは」になるんだよと、受け売りをしていたのです。

バカバカしい話でした。大野の『日本語文法を考える』にある「既知・未知」の章を読めば、おかしいのはわかるはずです。しかしそんなことを言える雰囲気ではありませんでした。一流の学者の本だから、間違いないという権威主義的な感じがしたものです。

      

2 使いにくい既知・未知の概念

大野の本は1978年に岩波新書から出版され、現在も絶版になっていません。いまも一定数の人が読んでいるということでしょう。実際、既知の情報には「は」が接続し、未知の情報には「が」が接続すると、いまでも思っている人が意外に多くいます。

何度か文章関係の講義をしたときに、既知と未知について聞いてみました。ご存知の方がいらっしゃるのです。そして多数決ならば、この分野で一番有名な学者は大野晋だったでしょう。ただし既知・未知を知っているだけで、使いこなしているわけではありません。

実際に書くときに、既知と未知の概念を意識する人など、まずいないでしょう。読むときにも、これが既知で、これが未知でと読む人は、いそうにありません。知っていますよというだけでした。この概念を読み書きに使っていますよというのではないのです。

     

3 小松英雄の大野晋批判

小松英雄は『日本語を動的にとらえる』で、大野晋の見解に反対するだけでなくて、大野の思考について批判的に語っています。ここまで自信を持って言えませんが、違和感の理由が鋭く指摘されているように思いました。『係り結びの研究』は大野の著作です。

▼『係り結びの研究』の著者が、いつも証明の手順を踏まずに既定の結論に直行していることにいら立ちを覚えていたが、この章を書き終えて改めて痛感させられたのは、この著者が理性よりもすぐれて感性の人であり、また、アドホックな演繹に確信がもてるかただったことである。 p.309 『日本語を動的にとらえる』

『係り結びの研究』は1993年の本です。『日本語文法を考える』から15年経っています。それでも、何だか同じ感じがしました。[既定の結論に直行している]とは、「既知・未知」と「は・が」の関係について論じた部分にそのまま当てはまります。

小松は最終章で、大野の具体的な見解を批判し、自説を展開しています。日本ではめずらしい学者でしょう。2014年の85歳のときの著作でした。2022年2月20日、92歳で亡くなっています。『徒然草抜書 解釈の原点』以来、圧倒されてきました。すごい学者です。

     

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