■「ひらがな」で考えるマネジメントの基本:人材と成果について

1 仕事の3段階

まだビジネスのことがよくわからない学生たちに、こんな話をしたことがあります。仕事をするときに3つの枠組みがあるから、それを学校を事例にして理解するようにと。まず学校、学科、専攻を決めることによって大枠が決まる、これはわかるでしょう。

専攻が決まったら、次に講義のカリキュラムが決まります。選択科目もあって、個人個人に違いが出てくるのもわかるでしょう。最後に、こうして決まった時間割に合わせて、講義を受講していくことになります。ここまでの3つの枠組みはわかるはずです。

会社の場合なら、部門の中のある部署に配属されるのが第一段階。そこで、どんな仕事をどんな風にしていくのかを知ることが第二段階です。仕事のルールやプロセスを理解して実際に仕事をしていくことが第三段階になります。これは学校の話と同じ構造です。

学生の場合、どの会社の、どんな部門に行きたいという希望はわりあいはっきりしています。ところが、その部門で、どんな仕事をどんな風にしていくのかということになると、わからなくなります。何となくイメージはしていても、実際とはズレるのです。

 

2 仕事内容を説明する課題

インターンシップに行って、実際の仕事を経験してくると、なかには学校の勉強以上に成長する学生が出てきます。何かをつかんできて、進路が変更になる場合も、めずらしくありません。自分なりのイメージがつかめた学生は、幸運というべきです。

しかし次の段階になると、また苦労することがあります。新しく見つけた会社を調べるうちに、どんな仕事を、どんな風にしているのか、わかってなかったと気づくのです。会社側も、説明会でもう少し工夫してくれればいいのにと思うことがあります。

ただし、これは簡単ではありません。自分の仕事の内容を、一般人に向けて説明することは、高度なことです。その説明を見れば、その人の実力がわかると言ってもいいように思います。実際に、研修でこうした課題に取り組んでいただいたことがありました。

会社の若手リーダーたちに、自分の担当する部門について、どういう仕事をしているのか、どんな風に仕事をしているのか、「何を・どのように」が一般の人にわかるように書いてください…という課題です。どういうことになるか、想像がつくでしょうか。

もはや言い逃れができないレベルの差が出ます。コメントをつけて部門長にお渡ししました。たぶん意外だったのでしょう。自分は人を見る目がないとおっしゃっていました。あきらめた様子で、次の一手を考えていたようです。これは例外的なこととは思えません。

 

3 能力を発揮させる前提条件

リーマンショック後の、安倍政権が発足した頃からだったと思いますが、若い人のことがわからなくなっているというお話を会社の役員や人事の人から何度か聞きました。売り手市場になって、優秀な人の採用が徐々に難しくなってきていたのかもしれません。

人事は失敗の連続ですという言い方をする人がいて、目標が高いと失敗しますよね…とお答えした気がします。ところがそんな話を繰り返し聞くうちに、たしかに妙だと気がついてきました。とはいえ、実際のところは何がどう違うのか、よくわかりません。

その頃から、学生相手に講義をもつようになりました。1990年にバブルが崩壊したあとに生まれ育ってきた人たちですから、日本が発展してきた過程など知りません。経済が停滞していると感じるわれわれの感覚とは違います。停滞が普通なのです。

いわゆる日本的と言われることが、通用しません。よく言われた集団主義というものは、かつての成功モデルに伴って生まれたものかもしれません。そんな気がしました。学生と学校・教師側との齟齬がどれほど大きいか、外様の人間ならすぐに気がつくはずです。

こういう学生たちを管理するなどというのは、まったく無理なことだと思われました。もともと管理する気などない人間が、いわばお試しのように講義をもったのです。どうすれば成果が上がるかに焦点を当てて講義を進めるしかありませんでした。

各人の夢や希望は形式的には少し似ていますが、好き嫌いがはっきりしていて、大雑把な話をすれば、反発を食らうだけだろうと想像はつきます。では、どうすればいいのか。やりたい分野で能力をあげるように持っていけば、どんどんやり始めます。

会社でも同じかもしれません。ミスマッチが起こらないように、自分たちの仕事がどんなものであるのか、どういう風に仕事をしているのかがわかるように伝える必要があるでしょう。イメージに適う職場なら、能力を発揮させる前提条件は整ったといえます。

 

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