■日本近代文学者の努力:西欧文学から学ぶ

1 3人の日本近代文学者

日本近代文学の歴史も100年を超え、その中で世界に通用する文学もいくつかあることが指摘されています。その観点から、最初に近代日本文学を一筆書きしたのは、サイデンステッカーだろうと思います。

夏目漱石、谷崎潤一郎、川端康成の3人の文学者を主要な作家と評価しました。後になって、各々の代表作を、『三四郎』、『蓼喰ふ虫』・『細雪』、『山の音』であると書いています。「百年の文学 新潮社100年記念」でのことでした。

小西甚一は、『日本文藝史』第5巻で、世界的に通用する日本近代文学として、漱石『明暗』、谷崎『細雪』、川端『山の音』をあげています。この三人をあげるのは、まだ通説になっていないかもしれませんが、三人を中核にして日本近代文学を考えたくなります。

 

2 外国語風の文章の日本化

漱石と谷崎の場合、文章の面からもぬきんでています。二人の文章は、簡単には古びないだろうと思います。漱石は英語教師ですから、英文法の主語、述語というものを自然に意識していたようです。同時代の中でも、主語述語がわかりやすい文章を書いています。

谷崎潤一郎の場合、一見、和風な文章に見えますが、もともとが欧文脈と言われる西洋の影響を受けた文章を書いていました。文法は不要と言いながら、助詞の使い方について、厳しいことを言っています。西原春夫が、かつて書いていた文章を思い出します。

法律家としての文章書きのトレーニング法としては、むしろ主語・述語のはっきりしている外国語風の文章を書くように努力し、いったんそれが身についたら、またそれを長い年月かけて崩していく、という方法をとるべきであると思う。  『短文・小論文の書き方』

 

3 西欧文学から学んだ谷崎

谷崎について書かれた本に、伊吹和子『われよりほかに』という名著があります。谷崎源氏の口述筆記を担当した人の回想です。谷崎の小説が日本風に見えて、その源泉がおもに西欧文学にあったことが示されています。

佐藤氏の一文には、『グリーブ家のバアバラの話』と『春琴抄』との関係のみならず、大正三年の作『饒太郎』とオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』との相似も、夙に指摘されているが、他にも谷崎先生の小説には、洋の東西を問わず、先行の文学作品を換骨奪胎したものが多い。実を言えば、私はひそかに、『細雪』執筆の際にも先生の意識下に、チェホフの『桜の園』と『三人姉妹』が漂っていたであろうと想像している。

以前、渡部昇一が紹介した<ローマの学問がギリシアの哲学を吸収しようとして1000年近く努力した結果、古典ラテン語は中世ラテン語に変容した>という説のように、日本語も先進的な文学、そして言語から学んで表現方法を変えてきたようです。

ドナルド・キーンが、日本の近代文学者の作品の中で一番翻訳しやすいのは誰かと聞かれて、言下に谷崎と答えたと、丸谷才一が『文章読本』に書いています。谷崎は、西洋から徹底して学んだからこそ、日本的なことも表現できたのだろうと思います。

 

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