■メモは実力を反映する:発見・思考の検証ツール
1 メモを再現可能にする方法
何か文章を書こうとする人に対して、しばしばメモを取ったほうがよいというアドバイスがなされます。たとえば宮家邦彦は『ハイブリッド外交官の仕事術』で、すべては[小さなヒントを丹念にメモすることから始まった](p.125)と記していました。
メモが再現不能にならないように、メモをした後、[文章として読めるようになるまで修正を加えていきます]とも書いています(pp..128-129)。こうしたメモがアイデアにつながるのです。宮家の場合、何かを生み出すヒントがメモであると言ってよいでしょう。
もっと直接的な使い方をするメモもあります。村田喜代子は『名文を書かない文章講座』の「急がばメモを」で、[しゃべりたい話が見つかると、そこらにある紙にとりあえず走り書きをする。これは要点だけメモ程度に簡単に記すだけでいい](p.17)とあります。
2 実力を反映するメモ
村田は芥川賞をとった作家です。こういう人が自分のエッセイを書いたときのメモを公開しています。メモは[頭の中であらかたまとめて、後で]書けばよいとのこと。「姉という世代」という原稿用紙一枚弱のエッセイを書いたときのメモが以下です(pp..17-18)。
▼仮題「弟よ」
・テレビの懐メロで内藤やす子の歌『弟よ』(橋本淳作詞)を聴く。
一人暮らしのアパートで/薄い毛布にくるまって/ふと思い出す故郷の/ひとつちがいの弟を
・イガグリ頭の弟。あの頃は暗かった。世の中も、娘たちも暗かった。そんな時代の歌。友達のK子もこの歌が好きだと。弟もいないのに!
・「この歌聴いてると田舎に弟を置いてきたような気がする」。田舎もないのに! 弟って何だろう。
・高柳重信の現代俳句。「六つで死んで今も押し入れで泣く弟」
・弟は過去に住む。遠い姉の青春の日々。弟はその中にいる!
これだけで、何かを感じさせるメモです。村田は[メモが出来ると、エッセイは半分書き上がったのも同然だ](p.18)と言います。この水準のメモが出来る人なら、エッセイが書けるかどうかなど心配する必要もないでしょう。メモは実力を反映するようです。
3 メモは思考・発見の検証ツール
村田は「メモから実作へ」で、メモをもとにしたエッセイを引いて、[メモの文章が挿入されている箇所]を示します。もうメモの段階で半分どころか、ほとんどできていると感じさせるものです。ここまでが基本編に書かれています。これには参りました。
[実作を始めると誰でも委縮してしまいがちになる](p.22)とあります。朝日カルチャー教室でのことですから、そうなるでしょう。これだけのものを示されたら、誰でも委縮します。しかし、ぬるい文章を示すわけにもいきません。これでよいのでしょう。
[一つの文章をうまくまとめるのも大切だが、その前に発見や思考のある文章を書きたいものだ](p.23)と村田は言います。エッセイでも、発見や思考が必要です。当然、ビジネス文書にも必要でしょう。メモの水準が、文章の水準をほとんど決めてしまいます。
メモは素材です。素材の良し悪しで、文章の水準は決まるでしょう。同時にメモは検証ツールでもあります。メモは、言語によって思考を「見える化」したものですから、メモを見れば、その中にどのくらいの発見や思考があるか、確認できるということです。
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