■言葉を対・セットの発想で考える:小松英雄『日本語はなぜ変化するか』から

       

1 やっかいな品詞分解

品詞分解というものを、かつては国語の時間に行っていました。もはや、どんなことをするかも知らない人がいます。日本語をきっちり品詞で説明することは難しいようです。小松英雄は『日本語はなぜ変化するか』の補説で、品詞分解に言及しています。

[現代語のアリマス/キマスに対応する否定表現はアリマセン/キマセンである。マスは肯定、マセンはその否定であるが、この簡単な否定表現を品詞分解にかけると、厄介なことになる](p.257)というのです。「アリ・マセン」の「マセン」が問題になります。

「アリ・マス」の[マスが助動詞マスの終止形なら、マセンのマセはその未然形で、ンは未然形に後接する助動詞の終止形でなければならないが、口語文法の助動詞一覧表に助動詞ンはない]。これを一言で言えば、マセンを品詞分解できないということです。

      

2 意識されることのない品詞概念

小松は、[アリマセンを区切って発音すればアリマ/センになる。文法の単位が自然な発話と食い違っているなら、文法を修正する必要がある]と記しています。「アリ/マセン」でなくて、「アリマ/セン」のほうが自然だろうということでした。

しかし、「あります/ありません」を分解しないで、まとまったものと認識する方がより自然でしょう。「あります/ありません」は、「ある/ない」の丁寧な言い方だということです。同じように、「いる/いない」と「います/いません」が対応します。

日本語の場合、品詞を意識することがほとんどありません。「ある」は動詞、「ない」は形容詞になるのでしょう。しかし品詞の違いを意識することはほとんどありません。一方、「ある」と「ない」が対になっている点は、意識されていることです。

     

3 対・セットの発想

小松は形容動詞に関連するところで、[形容動詞を設ける立場にとって致命的なのは、終止形とされるシズカダが、基幹形として機能していないこと]だと指摘します。[辞書の見出しはシズカであるし、それが基幹形でもないから活用語ではない]のです(p.262)。

[ダは<これは鉛筆だ>のダとして無理なく説明できる]のですから、形容動詞は成り立ちません。小松は別解を提示します。「静かなる」という言い方が消えて「静かな」になったのは[シズカニ/シズカナというセットが形成されたからである]との見解です。

「静かに」は[動詞を修飾するだけであるから副詞と認めるのが妥当である]、一方の「静かな」は[体言を修飾するだけであるから連体詞と認めるのが妥当]でしょう(以上、p.262)。体言のシズカから、副詞シズカニ、連体詞シズカナが形成されたのです。

小松の見解が自然に感じるのは、対・セットの発想があるからでしょう。私たちは「ある・ない」「いる・いない」のセットを意識しながら言葉を運用しています。「静かに・静かな」も活用形の違う言葉としてでなく、セットとして運用しているはずです。

     

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