■主語について:「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」をめぐって

      

1 原文と英語訳のニュアンスの違い

三森ゆりか『外国語を身につけるための日本語レッスン』という本があります。日本語を重視すべきだということは、多くの人の賛同を得るはずです。ここでは、それ以前の話になります。どうやら日本語について、十分なルール整備ができていないようです。

[川端康成の名作『雪国』を例にとって、主語の省略の意味について考えてみましょう](p.58)とあります。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」というのが冒頭の文です。三森はこの文の英語訳であるサイデンステッカーの英文を示します。

原文と「THE TRAIN came out of the long tunnel into country.」という英語訳を並べてみると、[日本語の文には主語がなく、一方英語の文では≪TRAIN≫が主語として収まっている](p.58)のは見ての通りです。どうも、ニュアンスが違うのは確かでしょう。

      

2 主語概念が理解できていない様子

三森は[英訳においては冒頭の文の主語が≪TRAIN≫に限定されてしまい、原文の持つニュアンスが消失してしまっている](p.59)と書いています。しかしその理由が、なんとも不可思議な説明です。[冒頭の文の主語]について以下のように言うのです。

▼列車に「娘」も乗っていたとなると、冒頭の文の主語には「主人公と列車」だけではなく、「娘」も収まる可能性が出てきます。その場合、「列車と島村と娘」とその他もしかしたらこの文章に表面上には表れない乗客や乗員すべてをひっくるめて「国境の長いトンネルを抜ける」可能性も出てきます。 p.60

日本語の文がどうなっているのか、もう一度よくご覧になったほうがよいでしょう。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」です。「国境の長いトンネルを抜けると」は場合を表しています。文末が「雪国であった」ですから、主語は「そこは」でしょう。

     

3 狭いトンネルを抜けて解放された世界

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」のうち、「国境の長いトンネルを抜けると」はTPOの「どんな場合」です。<国境の長いトンネルを抜けたならば>となるか、あるいは<国境の長いトンネルを抜けた、すると>といったところでしょう。

トンネルを列車が抜けていきます。乗客と乗員とが一体化した列車です。その狭いトンネルを抜けた先に、広がる世界がありました。もはや夜です。解放された広大な世界の、その底に一面の雪が降り積もっています。だから「夜の底が白くなった」と続くのです。

特殊な主語概念で考えない限り、主語は列車にはなりません。三森の言うことは、空振りでした。トンネルを抜けた先に広がる世界が主語になります。英語訳は「列車はトンネルを抜けて雪国に入った」という風に主語を変えているので、ニュアンスが違うのです。

主語というものが「文末の主体」であるなら、以上の話に尽きます。日本語の基本ルールを整備しないと妙な話になりかねません。日本語の文法業界のおとぎ話は、もうどうでもよいでしょう。一般人が使える文法をきちんと構築する必要があるということです。

      

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