■文章の検証:専門外の本を意識してチェックする意義

      

1 ロマンではなく、文章の検証を

先週、日本の古代史の本について書いてみました。当然のことながら、この分野の専門家ではありません。本に書かれている文章を読んで、内容から判断しています。勉強する対象の本を取り上げて、当時に、文章を検証しているということです。

日本古代史というのは、なかなか面白い分野らしく、先日もロマンがあるという発言を聞きました。思い込みで語ることは、よくあることでしょう。邪馬台国が九州にあるのは、よほどの偏見をもっていない限り、否定できないだろうという文章もありました。

その本では、特別の根拠は明確になっていませんでした。ただ九州説の主張に沿った文章が、そのあと離れたところに書かれていただけです。専門家ではないものの、別の分野の学者の文章でしたので、驚きました。ときどきガクンと来るようなことがあります。

      

2 素人でも理解できるのが基本書

各分野の基本書というものは、素人であっても読めるものです。そうでなかったら、大学の学生たちが読めないことになります。基本書が読めなかったら、誰も専門家になれません。全員でなくても、一定以上の人が、正確に読めるものが基本書と言えます。

自分の知らない分野、専門ではない分野でも、一般向けに書かれたものや、その分野の教科書的な本ならば、読めるという前提で取り組むべきでしょう。少なくとも、きちんと書かれた本ならば、専門家でない人が本気で取り組めば、理解できるはずです。

正確な理解ができるとしたら、比較ができることになります。文章を検証することによって、意見の違いについて、どちらが妥当であるかが判断できる可能性が高いということです。文章の検証は実際のビジネスでも役に立ちます。必須のスキルだというべきです。

       

3 文章を検証することの価値

ある分野の本を、ロマンを求めて読むことが悪いとは思いません。しかし文章の検証というのは、それとは別の話です。いくつかの分野の本を、きっちり読むことは役立ちます。意識して自分の専門外の分野に、なじみの領域を作っておくのはいかがでしょうか。

先日ふれた岡田英弘の日本古代史について言えば、岡田が「倭国」について最初に書いたのは、『日本史の誕生』にある1970年の「邪馬台国は中国の一部だった」であるそうです。そこでの主張は、いかに中国文献が役に立たないかということでした。

明時代の文献でもデタラメだと、事例とともに示します。『倭国』の[外国の資料を基礎にして、日本列島をめぐる国際情勢の歴史を創り上げ、その枠のうちで『日本書紀』の伝承を解釈するのが、歴史学の常道であろう](p.7)というアプローチは使えないのです。

文献の正確性が回復したわけではないのに、こうしたアプローチはとれません。複数の本を確認してみると、個々の文章で気づいた違和感が検証しやすくなるはずです。自分がやりやすい分野で、文章の検証を意識的に行ってみるのは、価値のあることだと思います。