■小西甚一の分析方法の基本的立場:『日本文藝史Ⅰ』で日本の古代史を学ぶ

      

1 古代に書かれた文書への敬意

『日本史から見た日本人 古代篇』で渡部昇一は、『ニューズウィーク』(1973年7月30日号)で[今の陛下(昭和天皇)を「2633年の昔から中断されたことなき一系の皇統の第百二十四代目の天皇」と表現している](祥伝社版p.68)と指摘しています。

斉明天皇崩御の661年から[逆算して1320年前を神武紀元としたらしい]ということですから、数百年の誤差は確実です。しかし『ニューズウィーク』と同じ言い方を[ドイツの雑誌でもイギリスの新聞でも読んだことがある]とのことでした。なぜでしょうか。

渡部は言います。[必ず初代の天皇がおられて][伝承によって伝えられていた天皇がおられた]のは間違いないのです。だから[古代に書かれた文書というのは偽書でもない限り、それだけの敬意を受けるものなのである](p.68)とのことでした。

     

2 『古事記』の形成段階の分析

日本古代について記述する場合、日本史の本では、古い天皇は架空であるとの記述が一般化しています。しかし『古事記』や『日本書紀』の記述も、何らかの反映だろうと考えるのが自然です。小西甚一の『日本文藝史Ⅰ』での立場も、そうしたものと言えます。

小西は、文献を読んで表現の分析を重視した上で、『古事記』を分析しました。「神祇(ジンギ)説話」が記述される上巻を「古層・中層・新層」に分け、「皇族説話」については中巻が「古層」、下巻が「新層」だとします。これが推定される形成段階です。

[皇族説話の古層は、その上限を推定することが難しい](p.224)のですが「発見された鉄剣の銘が、一つの手がかりを提供」します。そして『古事記』にある崇神(スジン)天皇の[崩御が戊寅(ツチエノトラ)の年]とは258年だとする神田秀夫説を検証し、採用しました。

      

3 日本古代史の教科書

小西は『三国志』の記述から、倭国の争乱状態が250年前後の頃と推定し、[トヨを助けて内乱を平定した実力者が崇神天皇]だとします。一方、ヒミコが倭国王になる前の争乱を[収拾した実力者が神武天皇を造形するときのモデル](p.226)だと考えました。

また「十七条憲法」が[整然とした漢文で書かれている](p.340)点、『法華義記』の[太子の意見を述べられた部分が、しばしば和習を帯びた語法]であるため、[コリア知識人たちが修訂]したとはいえ[太子ご自身の作と認めてよい](p.343)と分析します。

[ヤマト人がシナやコリアにまで通用する漢文の書ける水準に達した事実]を重視して、[先古時代と古代とを分ける象徴点]として「十七条憲法」の成った604年を、小西は選びました(p.343)。以上、日本古代史の専門家の本よりも数段の説得力があります。

小西が圧倒的な『日本文藝史』を書けたのは、アメリカで[分析批評に目を開かれた]からでした(はしがき)。表現を分析するときの鋭さは、歴史資料の読みにも発揮されています。私は日本の古代史の基本を『日本文藝史Ⅰ』で学びました。教科書になる本です。

      

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