■日本語の確立と作家の文章:「Aとばったり会った」の例文

     

1 吉川英治『黒田如水』の例文

助詞「と」について、「Aとばったり会った」という使い方はおかしいと書きました。では、吉川英治が『黒田如水』で、「望楼を降りて来ると、出会い頭に、衣笠久左衛門とばったり会った」と書いているのはどうなのでしょうか。吉川は有名な作家です。

当然ながら、ここでの「衣笠久左衛門とばったり会った」は誤用です。しかし有名な作家が書いているのに、誤用なのかと気にする人もいるかもしれません。これは文章用の日本語が確立していなかったことと関係します。司馬遼太郎が講演で語っていました。

吉川英治の文章を読んだけれども、どうもよくわからなかった、しかし音読してみたら、雰囲気が伝わってきたというのです。文章用の日本語が確立していなかったことになります。音読しないと雰囲気が伝わらない文章は、文章用の日本語にはなっていません。

      

2 文章日本語の成立

司馬遼太郎は1982年の講演「文章日本語の成立」で、[共通語ができあがると、だれでも自分の感情、もしくは個人的な主張というものを文章にすることができる]、そんな[スタイルが、共有のものとして、ほぼわれわれの文化の中には成熟した]と語ります。

吉川英治は1962年に亡くなっていますから、司馬のいう「文章日本語の成立」前の作家です。まだ共通の文章用の日本語が確立する前の文章でした。しかし、作品は残ります。読む人もいるはずです。そこで使われる文章が例文になる可能性はあるでしょう。

かつての有名作家の文章が例文に取られたとしても、その言い方が正しさの根拠になるとは言えません。これは日本語だけの問題ではなさそうです。英語でも、こうした文章ルールにかかわる問題があったと、渡部昇一が指摘していました。

      

3 英文に規則を求める風潮

渡部昇一は『英語の歴史』で、シェークスピアの時代の文章について、[作家を規制する文法規範は、文法書にある規則でなくて直感であった]と記しています。そうなると、いまから見れば[破格だらけ](p.252)ということです。現代では通用しません。

シェイクスピアは1564年に生まれ、1616年に亡くなりました。この次の世代である[ジョンソンの頃になると]、[英語にも規則を求める風潮、つまり英文法を意識する風潮が出てきた]と、渡部は『英文法を知ってますか』(p.156)に記しています。

才能豊かな作家の直感で書いた文章ならば、何らかの魅力があったとしても不思議ではありません。しかしその時点では、明確な文章の規則がありませんでした。日本語についても同じだろうと、渡部は『英語の歴史』に記しています。この本の出版は1983年です。

渡部のコメントは、[この英語の発展段階を見ると、現代の日本語はShakespeareの頃の英語にあたるのではないかという印象を受けることがないでもない](p.252)というものでした。今後、日本語でも規則を明確にしていく必要があるということでしょう。

     

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