■文の意味を得る過程
1 意味を得る2つの過程
『文の理解と意味の創造』という魅力的な書名にひかれて、手に取りました。あとがきに[このような機会を与えてくださった小松英雄先生に心からお礼申し上げます]とあります。参考文献にゴールドバーグ『構文文法論』もあるので、これはいいと思いました。
著者は天野みどりという人です。[文の意味はどのようにして得られるのだろうか]と言い、2つの過程を示します。第1は[文を構成する要素の意味と、その要素を結びつける関係的意味とを足し合わせて、合成的に文全体の意味を得る過程]です(p.4)。
第2は[この文はこれこれの意味であるはずであるという見込みが先に存在し、その意味に見合うように、逆に文を構成する個々の要素に意味を付与していくという過程](p.4)になります。前者は「ボトムアップ式」、後者は「トップダウン式」と呼べそうです。
2 ゴールドバーグの立場
人間の情報処理の形として、第1のボトムアップ式と第2のトップダウン式は択一的ではありません。[通常の情報処理ではこの両方がおこなわれるものである]との研究を確認した上で、著者は[この後者の過程を][明らかにすること](p.7)を目指しています。
しかし後者の「トップダウン式」の過程は簡単にはいきません。いきなりトップダウン式の読み方はできないのです。[文の意味はどのようにして得られる]とありますから、読みの視点でしょう。実際、最後にゴールドバーグの立場との決定的な違いが出てきます。
▼Goldberg(1995)は、構文の意味として、中心的な意味・基本的な意味(プロトタイプ的意味に相当すると思われる)のみを認め、構文全体をカバーする単一の抽象的意味の存在を否定している。 p.186
3 文の意味が確定するのは文末
ゴールドバークの言うことは当然のことであって、否定しようもないことでした。ところが[本書では、再解釈のよりどころとなるものとして構文類型の持つ≪基準的意味≫というものを設定している](p.186)そうです。まったくナンセンスな設定でした。
個々の要素のいくつかが結びつき、全体の文の意味の見込みが立ってきて、その見込みに基づいて個々の要素を確認していく過程が、自然な読みだといえます。構文類型に合致しようとも、「構文全体をカバーする単一の抽象的意味」など出てこようがありません。
どのように自分の考えを表現するかを考える場合に、すでに全体的に意味の見込みが先に存在することは否定できないでしょう。そのとき、自分の考えにふさわしい文を構成していく過程を想定することはできます。しかしこれは、書くときにのみ起こることです。
他者の記述した文について、いきなり全体が見えてくることはありません。最後まで読んで、そこで意味を確認することになります。文末に至って、やっと文の意味が確定するということです。その途中では推定でしかありません。以上、再確認したことでした。