■自分で考える素材の提示 『論語』の記述スタイル:陳舜臣『儒教三千年』を参考に

      

1 思考法と記述スタイル

陳舜臣『儒教三千年』にある『論語』の記述スタイルについて書いたところ、意味が分からなかったとの話がありました。少し追記してみます。論語の場合、君子について様々なケースで語られていますが、「君子」に焦点を当てて体系化していはいません。

陳舜臣が言うように、[『論語』には、「君子」ということばは、きわめて頻繁に出て]いるにもかかわらず、[あまり体系もなく出てくる](p.183)のです。そのため君子というのは、どういう存在なのか、定義が気になってきます。思考法が少し違うのです。

陳は、[儒の説き方、少なくとも孔子の説き方は、具体的経験主義というべきでしょう。それぞれのケースに当てはめて説くのです](p.190)と説明していました。こうした記述スタイルだから、『論語』はいまも読まれているのかもしれないのです。

     

2 教訓は自分で引き出すもの

もともとのイソップ物語には、教訓が記載されていません。教訓は自分で引き出すものです。『論語』も、具体的な場面で「君子」がどういうものか示されていますから、そこから、読む側が君子像を構築していくことが可能でしょう。それでよいということです。

私たちは君子像を体系化しシンプルな形式にまとめたものの方が、完成度が高いと考える傾向があります。用語が定義され、全体の構成も計算されたものを完成品と考えがちです。しかし適切な例示をして、あとは読者にゆだねるということも可能でしょう。

適切な事例が必要なだけ示されていれば、読む人が考えていけます。具体的なケースを読んで、その時々で考えていくことが大切だともいえるでしょう。下手にまとめがついていると、各人が考えにくくなります。『論語』の記述スタイルはヘンではありません。

     

3 成功した講義『儒教三千年』

どちらが実践的であるのかというのは、参画意識と関わってくるように思います。すべての人が、一つ一つの記述について考えながら読むはずはありませんが、これはという文章ならば、それと向き合って読むことになります。『論語』の場合、そういう書物です。

一つの章が短いですし内容は素晴らしいものですから、すべてを読みつくさなくても、読んだ範囲で、その領域に関して考えることが可能です。下手な教訓をつけていないところが、よかったと思います。ただ読者が一歩踏み込んで読む必要があるということです。

最近の教材は手取り足取りの解説がついているものがたくさんあります。そうしたものも必要かもしれません。しかし、これはという本はそんなに簡単には読めませんし、読む側が考えなくては、十分な理解はできないでしょう。解説の難しい本だと言えます。

陳舜臣『儒教三千年』は、論語だけでなく儒教全般について、わかりやすい解説をつけていて、うまくいった講義だと思いました。250頁ほどの本ですが、内容があって、読みごたえがあります。簡単な本ではありませんが、じっくり読む価値のある本です。