■ビジョンの形成:ヒルティと清水幾太郎の考えから
1 なかなか守れないヒルティの教え
いまいくつかの講座のテキストを並行して作っています。締切が近づいてくると、だんだん一つに絞っていきますが、そうでない間は、あれこれ手を出しながら進めていくのが、ここしばらくのスタイルです。そのほうが相乗効果があるような気がします。
知らないうちに、こうなったのですが、おそらくヒルティの『幸福論』第1巻の「仕事の上手な仕方」と「時間のつくり方」からの影響です。ただし、守れないこともたくさんあります。中でも、とにかく始めることというのが、いちばん上手くできないことです。
はじめることで、物事は容易になるのだという考えはわかってはいます。ヒルティの教えの中でも一番大切な教えのはずなのです。しかし、書こうと思ってもなかなか書けません。書けるようになるまで待つしかないことがあります。なぜなのかと思いました。
2 清水幾太郎が明かす「著述家の秘密」
ヒルティは「時間のつくり方」で[手早く仕事をすること、そして単なる外形をあまり気にせず、あくまで内容に重きをおくことである。手早く仕上げられた仕事が最も良く、またもっとも効果的だというのが、私の持論である]と記しています。その通りでしょう。
ある時、一気にいいモノができてしまったという経験をした人がいるはずです。いつでも上手くいくわけではないのですが、何かあるのでしょう。そうだ、と清水幾太郎の言葉を思い出しました。清水は『本はどう読むか』で、「著述家の秘密」を明かしています。
▼優れた著述家の場合、最初、たくさんの観念が衝突しあったり、牽引し合ったりしながら、一つの大きな全体として存在している。しかし、その段階では、いかに偉大な著述家でも何一つ書くことは出来ない。時が満ちて、それらの観念の間に或る秩序というか、或る構造というか、とにかく、ひとつの形式が生まれるようになると、彼は漸く書き始めることが出来る。いや、書かずにいられなくなる。観念の混沌という全体であったものが、観念の構造という全体に作り変えられて行く。
すぐれた著述家でなくても、考えがまとまるというか、[或る秩序][或る構造]ができないと、書けないということです。何かがうまく回り出すときの感覚として、実感があることでしょう。何もしないで苦労する時間を、無しにすることは出来そうにありません。
3 ビジョンの形成
ところが秩序や構造がある程度見えたなら、そこからは早いのです。それがどの程度なのかは、はっきりしませんし、詰めが甘いと早期に失敗します。しかし水準を超えれば何かが見えてきて一気に仕事が進むのです。清水も『本はどう読むか』に書いていました。
▼大部分の人間は、書物や論文を書く場合、相当のスピードで書いているようである。頭の中を飛び交う無数の観念の間に一つの秩序が出来たとなると、そのとたんに、観念の急流のようなものが動き始めて、それを文字に移す手の動きが間に合わないような、そういう気分の中で、私自身、長い間、文章を書いて暮らしてきたし、他の人々の場合も、同じようなものらしい。そうでなければ、文章を貫く一筋の連続性 ―それがあるから、読めるのだ― は生まれようがない。書き上げた文章を念入りに推敲するのは言うまでもないが、書くときは一気に書くのが普通であるように思う。 『本はどう読むか』
ヒルティが[手早く仕事をすること、そして単なる外形をあまり気にせず、あくまで内容に重きをおくこと]というのは、このことかもしれません。清水が指摘した段階に達したときなら、ヒルティの言う通りになります。そのあとで推敲するということです。
大筋では清水のいう通りの現象が起こります。文章だけでなく、業務の仕組みを考えるときでも同じです。緩急のあることを意識しておいて、ものが見えてくる段階、いわゆるビジョンが形成されてくると、一気にコトが進みます。再発見した感じがしました。