■プラットフォームの成立:「現代の文章:日本語文法講座」連載8回目概要

      

1 列強の小休止の間に近代化

連載の8回目をアップしました。今回は、日本語の文章形式についてのプラットフォームについてです。文章体が標準化されることになりました。日本語の文章が成立する基礎条件ができたのです。そのあたりを亀井孝の論考を基礎にして考えています。

日本の場合、蘭学のおかげで、アヘン戦争以降の国際情勢に対応するだけの分析能力はありました。実際には、圧倒するパワーが直接やってきたら、たいへんなことになっていたでしょう。しかし幸い列強同士でエネルギーの消耗をしていました。

丸山真男は『翻訳と日本の近代』で[とくにクリミヤ戦争と南北戦争は大きい][その二つの事情で、日本に対する圧力が急激に減少した](p.11)と語っています。圧力が小休止しているときに、明治政府は一気に近代化を進めることができたのでした。

      

2 軍隊から始まった近代化

同じ本で丸山は[いちばん早く近代化したのが軍隊でしょう]と言います。1885年にドイツ参謀本部のメッケルが日本の陸軍に招聘されました。日本はメッケルから多くのことを学びました。日本語についても方向性を与えた点、司馬遼太郎が指摘しています。

司馬は講演録「日本の文章を作った人々」でメッケルが「軍隊のやりとりの文章は簡潔で的確でなければならない。日本語はそういう文章なのか」と確認したと語っています(『司馬遼太郎全講演[2]』朝日文庫 p.388)。日本語も変えていく必要があるのです。

亀井孝は『日本列島の言語』「日本語(歴史)」で、日本語の文章体について論じています。日本には漢文体と仮名体という2つの文章体があって、公的な文書では漢文体、私的なやり取りでは仮名体といった使い分けが必要でした。それが明治以降、変化します。

▼日本語の歴史を通じて、この時代の画期的な事件は、古い文語がすたれて、新しい文語が生まれたことである。これまで、連綿として続いてきた二重文語性は、この時代に至って崩壊し、文語は一本化した。 p.149 『日本列島の言語』「日本語(歴史)」

     

3 日本語の文章体の統一

漢文体の場合、漢文訓読から発達した文体です。日本語になると、もともと漢文の持つ情感は消え、意味だけを伝える無色な記述になります。こうした無色な点が客観的な記述にふさわしくて、日本語の文章体として定着していました。しかし変化がやってきます。

▼明治を半ば過ぎた頃になると、論説、評論にも、文語文法を口語文法におき換えることによって新しい文章体、いわゆる口語体の文語、つまり、現代われわれの使っている文語が取り上げられるようになった。 p.150 『日本列島の言語』「日本語(歴史)」

第二次大戦後、日本では憲法も法律も「口語体の文語」になりました。もはや公的な記録をつける場合にも、漢文体は使われなくなっています。手紙でも、候文と言うものがありましたが、もはや使われることはありません。文章の基本的な形式が決まりました。

日本語を近代化するためには、日本語の標準化が必要です。標準化の中でも大切なことは、日本語の文章体のプラットフォームを統一することでした。それが戦後に成立したということです。これ以降、実質的な記述内容が問われることになります。

     

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