■旧字体から新字体への変化:日本語の標準化の時期

     

1 1977年出版の岩波文庫の漢字

すこし気になることがあって、マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』をもう一度読もうかと思いました。私のもっているのは岩波文庫のものです。1954年に伊藤真一・北条元一が訳したもので、1977年に出版されたものでした。

マルクスを読むなら、最初にこの本がいいらしいと何となく思っていたときに、日下公人が、どこかでこの本を勧めていたので、ぱらっと読んだ気がします。もうほとんど記憶に残っていないので、もう一度意識して読もうかと思いました。ある種、有名な本です。

書き出しを記せば、ああ…と思う人もいるはずです。[ヘーゲルはどこかでのべている、すべての世界的な大事件や大人物はいわば二度あられるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番として、と]。なかなかうまい書き出しではあります。

しかし、いま問題にしたいのは、じつのところ内容ではありません。1977年に出された本ですが、「傳統」というように、今使われている漢字とは違って、旧字体になっているのです。旧字体の文庫がいつまで流通していたか…ということが気になりました。

      

2 1980年までに新字体へ移行

漢字がいわゆる旧字体から新字体にかわったのは、1950年代のようです。しかし1970年代後半でも、旧字体の本が流通していました。その一例が、この岩波文庫の『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』ということになります。

訳文におかしいところがあるとは思いません。誤訳がないかどうかはわかりませんが、日本語として、みょうな表現があるわけではないと言えます。全体の表現を見ると、いささか古い感じがするものの、逆に1950年代にこの訳文は斬新だったと思うくらいです。

それで、いくつかの岩波文庫の表記を確認してみました。どうやら1980年になるころには、旧字体のままの本が消滅しているように思います。1970年代後半までは、まだ旧字体でも、そう苦労なく読める人がかなりいたのでしょう。

       

3 日本語の標準化の時期

おそらく戦後の教育が変わって、1950年代から漢字の新字体が普及したとしても、岩波文庫を読む中心的な読者は、しばらく旧字体でも対応が出来たのでしょう。1970年代までは、なんとかなっていたようですが、それが1980年頃から通用しなくなりました。

戦後の教育の影響が、1980年までに日本を覆いつくしたということかもしれません。読めるけど不自由だから、新字体がよいという選択が明確になれば、出版社も全面的に改定に動かなくてはならなくなります。1970年代後半から1980年頃の変化を感じます。

司馬遼太郎が「文章日本語」という言い方で、現代の書き言葉を論じ、標準化された時期を1980年頃と見ているらしいことが、講演録からうかがえました。朝日文庫の『司馬遼太郎全講演[2] 』の「週刊誌と日本語」と「文章日本語の成立」を読めば分かります。

1980年頃から標準化された現代の文章としての日本語について、私たちはまだ、文章のルールを日本語文法として学んでいません。体系的な本もあまりなさそうです。そこらあたりを考えてみようと、いま思っています。そんなことで連載を始めました。

      

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