■日本語文法の問題点:大野晋が示したあるべき姿
1 日本語上達の術
何かを考えるときに、対象をよく見なくてはいけないし、正確に記述できなくてはいけません。当然でしょう。このとき、記述を正確にするための指針があれば、問題は起こらないはずです。しかし日本語の場合、読み書きするための指針は、確立していません。
私たちは、現在使われている日本語についての文法をよく知りません。文法書を読んだ人など、まずいないでしょう。読む価値があるという認識もないはずです。それは残念ながら否定できないことだと思います。現状の文法の何が問題なのでしょうか。
大野晋は『日本・日本語・日本人』において気楽な調子で、一番の問題を語ります。[現在、学校では、文節というものを中心にした橋本進吉先生の考え方を基礎にした文法体系を教えて]いるけれども、それは[日本語上達の術]になっていないというのです。
[膠着語の文法的研究なら橋本先生の文法はどこの膠着語でも、おそらくモンゴル語でもトルコ語でも通用する][文法学的にはたいへん優れた着想なんです]。ところが[日本語が上手になることに直接には役に立たない]という指摘をしています。
2 文章の「意味の構造」
大野は、橋本文法から[日本語と英語の文法上の違いとか、日本語を読むときに、どこに気をつけなくてはいけないかというようなことは出てこない]、その点、[時枝誠記先生の文法の方が日本語の特質を見ているところがありますね]とも語っています。
とはいえ時枝文法でも不十分なようです。何がポイントになるのか、大野は指摘しています。[自分がふだん無意識に使っていた言葉が道理にかなって、正しいものかどうかを見分けることを具体的に知るという、そうした言葉へのアプローチが必要だと思う]と。
これは2000年の座談会で語られたものでした。前年の1999年に出版した大野の『日本語練習帳』では、[今の学校文法は、文章の意味の構造を理解するには役に立たない]と記しています。これは同じことを語ったのでしょう。文章の「意味の構造」が問題なのです。
3 日本語文法のあるべき姿
文章の「意味の構造」を明確にするとは、こういう構造で書いた文は、こういう意味になるのだ…という裏づけをつけることだといえるでしょう。その裏づけがあれば、[日本語を読むときに、どこに気をつけなくてはいけないかという]ことが明確になります。
こうした日本語の文法であるならば、「日本語上達の術」になるというのが大野の考えでしょう。では日本語の上達とはどんなことかと言えば、[見ること見たことを正確に言葉にする]ことだということになります。一言で言えば、正確な記述ができることです。
大野の指摘は、従来から伝統的に書かれてきた「文章読本」の考えとはやや違います。大野が言うのは、どんな文法が必要なのかということです。ものを構想するときの基礎として、日本語および日本語文法のあるべき姿・役割についての指針といえるでしょう。