■目標をどう決めるか:リーダーのために その2

1 数値を指標にすることへの違和感

何かを自らの使命と感じて仕事をする場合と違って、目標となる数字を優先すると、だんだんやる気が落ちてくるように思う。仕事の目標を数字にして、その達成によって目的の正しさを確認する方式というのは、一般の日本人には納得しにくい発想である。

数字に踊らされる気分をある時感じ始めると、もう一度、新たな気持ちで目標達成に取り組みにくくなってくる。たいていの場合、数字がどんどん伸びていくときは、楽しい気分である。あるときその伸びが止まったり落ちてくると、やりがいが消えてしまう。

長い目で見ると、数値を指標にしていくと、ひずみが生じる可能性が高い。少なくとも日本人には辛いところがある。では、どうすればよいのか。一つは成長し続けること。これで成功しているところは確かにある。もう一つは、使命を設定することだろう。

 

2 数値目標と隣人愛

日本人がドラッカーに共感を持つのは、アメリカ的なビジネスを十分承知したうえで、なお利益を最優先する発想を拒否している点にもあると思われる。数値目標を重視した経営というものは、その考え方自体、アメリカ的であって日本的とは言えない。

なぜ、アメリカ的だと感じるのか。橋爪大三郎が『世界は宗教で動いている』で言うように、宗教的な裏づけがあるからなのかもしれない。[神の教えの通りに、まず隣人、次いで自分、それから貯蓄、という順番](pp..113-114)が大切だという原則がある。

利益が上がっても、それを使わない。[自分の満足のために使ってしまえば、それは、隣人愛では全く説明できないからです。自己愛になってしまう。だから、それを超えたぶんは貯蓄する。貯蓄は、投資に回ります](p.113)。こうして資金の回転が生まれる。

▼目方をごまかさない。契約通りの期日に品質の確かな商品を届ける。親戚だからまけてやるとか、顔が気に食わないからちょっとごまかすとかはしない。隣人に対して公平にサーヴィスする。約束を守る。時間を守る。こうしたことがすべて、正直です。つまりビジネスを、宗教活動の精神で行うのです。 p.113

 

3 隣人愛の実践という説明

プロテスタントの考え方を基礎にすると、人々が欲しがるものを供給することは、[「汝の隣人が欲していることを、汝の隣人にしなさい」](p.112)ということの実践になるらしい。だから結果として目標とされた利益は、隣人愛の尺度ということになる。

利益は客観基準になじむ明確な尺度であるから、優秀な指標である。ある人たちが、こういう論理で、利益を目標とし、それを浪費しないで次の投資に回す。目的がないように見えただけで、宗教活動の精神に基づく実践という目的があるという説明である。

自分達の活動の目的が隣人愛であり、目標となるのは隣人愛を測る尺度である利益の大きさだとするならば、利益目標は、やりがいを生むために不可欠なものになる。しかし、この説明で十分なのだろうか。どこか、何かが違ってきているのではないのか。

 

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