■主題および主語という概念:『日本語の謎を探る』を参考に 3/3
1 主題についての振り返り
主題と主語について、いままで2回書いてきました。日本語の読み書きを考えるとき、主題と主語をともに認める立場は、参考にすべき考えだと思います。森本順子は『日本語の謎を探る』でこの立場を取っています。
この本で問題となるのは、主題と主語の概念をどうとらえているのかということでした。1回目で、森本が主題の概念を未知既知を使って説明していることをご紹介しました。分かりやすい説明ですが、これだけでは説明がつかない場合があるということになります。
2回目で別の観点から、この概念について書いてみました。森本のいう主題の概念は、助詞「は」の特質を反映して、他のものを意識せずに、いわば絶対的に提示することにあるのではないか…ということです。以上が主題の概念をめぐる振り返りになります。
2 森本のいう「主語」概念の意義
『日本語の謎を探る』で注目すべきなのは、この主題を認めたうえで、主語を認めたことにあります。森本は日本語の機能の説明に、主語の概念が必要だという考えでした。その概念は、三上章の「主格」の説明に基づいています。
ご存知のように、三上章は『象は鼻が長い』などで、主語不要論を唱えていました。日本語には主語がないと主張した三上の理論から、主格の概念を使って主語の概念を抽出しています。これはなかなか皮肉なことでもあります。
森本の説明では、三上の言う主格の概念は、構文上の機能として絶対的優位に立ち、助詞「が」だけに該当するのでなく、助詞「は」でも兼務する機能であるとしています。主格(森本のいう主語)を考える場合、述語あるいは述部を検討する必要があります。
3 分析と実践は違う
森本は『日本語の謎を探る』で、動詞述語、名詞述語、形容詞述語という通説を採用し、そのうちの動詞を論じます。ただ説明が詳細な分類に傾きがちです。森本がとりあげる「~ている(テイル)」という表現の説明も、まだ分類的過ぎるように感じます。
日本語研究での単位の分解の仕方は一貫していて、追求していくと興味の尽きないところがある。が、これは本来言語活動の実践を目的として行うものではない。分析すればこのようになるとしても、私たちは誰も一回ごとにこんなことを考えながら、文を作っているわけではない。 『日本語の謎を探る』第四章「動詞はどのように使うか」
森本は上記の様に書いています。しかし、テイルという継続の表現には、(1) 動作や作用の継続、(2) 状態の継続…があり、(2) は、<動作のあとに結果として生じた状態を表している>とした上で、自動詞・他動詞との関係まで論じています。
<受け身文は他動詞で作るものというのが相場だが、日本語では他動詞でなくても受け身になってしまう>としたうえで、それを論じています。自動詞・他動詞の概念が日本語では使いにくいということです。別の観点から説明できないものでしょうか。
4 「スル系」と「ナル系」
「~ている(テイル)」という表現を分類するよりも、この形式にまとまっている形式がどんな概念なのか注目すべきでしょう。「する・した・された」「ある・いる」の系統のなかに「ている」も入ります。これらをまとめると、「行為」とも言えそうです。
この「行為」概念に対して、同列の別概念があるかどうかが問題となります。「なる・なってくる・なってきた」など、結果として起こること、あるいは認識として示される判断と言うべきものが、対比される概念だろうと思います。
いわば「スル」系と「ナル」系に分かれます。この点、品詞で分類する述語の概念とは発想が違います。「電話をしている」「都心に住んでいる」に対し、「雨が雪になる」「必要になる」という表現があります。両者の違いが述部の分類の基礎になりそうです。