■主題および主語という概念:『日本語の謎を探る』を参考に 2/3

1 未知と既知では説明がつかない

『日本語の謎を探る』で森本順子は、主題とともに主語を認める立場をとっています。ただ、その際の説明がどうも通説にそったもので、細かく分類しすぎているきらいがあります。そんなに細かい分類によって私たちは日本語を使っていないはずです。

主題を未知と既知の概念で説明した箇所はわかりやすいものでした。同時に森本は、<いつも未知と既知で楽に説明がつくかというとそうとは限らない>…と言います。主題というのは、未知と既知だけでは説明のつかないところがある概念と言えそうです。

主題には助詞「ハ」がつくことになっています。したがって、「象は鼻が長い」の「象は」が主題になります。「象が鼻が長い」の場合の「象が」は主題になりません。この2つの例文の場合、主題になるかどうかは、既知と未知で説明がつかないことになります。

 

2 絶対的提示と選択的提示

既知と未知で説明できない以上、もっと別の概念で両者を分けていると考えるべきでしょう。「象は鼻が長い」の場合、「象」だけを対象にしています。他を意識しないで「象」をいわば絶対的に提示したものです。ここがポイントでしょう。

「象が鼻が長い」の場合、他のものを意識しています。「象」は、いくつかの中から選び取られた相対的な、選択された存在として提示されています。主題というのは、他を意識せずにその語句のみを対象にすることを前提に設定され、解説される概念のようです。

これは「私は行く」と「私が行く」でも同じです。「私は行く」なら、他の人は知らないけれども私のことを言えば、行きます…ということ。「私が行く」なら、誰が行くのかといえば、私が行きます…ということです。この点、森本の例文でも同じことになります。

「これは駅のコインロッカーのカギですよ」なら、他のカギではなくて、このカギに関して言えば…という意味でしょう。「これが駅のコインロッカーのカギですよ」なら、どのカギなのかと言えば、このカギですよ…という意味でしょう。同じ原理で説明できます。

 

3 「主語」の概念を探る

森本は主題の概念をわかりやすく説明しながら、定義が不明確でした。上記の示したように、既知と未知よりも上位の概念が必要となります。そして、主題とは別に、主語を認めるという立場をとりました。さらに主格も認めています。どうも複雑です。

まず主語の概念の明確化が必要です。能動文での<行為者>を表す「ハ、ガ」と、受動文の<動詞の意味の上での目的>を表す「ハ、ガ」によって<示される機能を一つにまとめる用語>として、<主語という術語を用いる>…との説明は、定義になっていません。

森本は別の説明をしています。三上章のいう「主格」が構文上の機能として<絶対的優位に立>ち、<ハがガを兼務>し、<ガの機能とは切り離して考えられるのであれば>、「主語」と<ほとんど同一>とのこと。私のいう「主体」と似た概念のようです。

簡単に言えば、「主体」とは「述部の主体となる誰・何のこと」です。森本は通説にそって述語を品詞で考えていますので、「主体」と「主語」の違いは、通説の「述語」と「述部」の違いなのでしょう。『日本語の謎を探る』第四章に、関連事項の言及があります。

*この項、つづきます。 [⇒ 主題および主語という概念 その1

参考: [主題および主語という概念:日本語のバイエル一筆書き] [「名詞文・形容詞文・動詞文」への疑問

 

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