■高橋太郎『日本語の文法』について:現時点の印象
1 体言と用言の軽視
遅ればせながら高橋太郎『日本語の文法』を購入いたしました。日本語の文法書で評価されている本のようです。何となく、そんな話を聞いたことがありました。しかし関心がなかったのです。もはや日本語の文法の本はいらないなあという感じがありました。
書店の棚にたまたま並んでいたのです。実際に手にしてみると、説明が詳しくて持っていてもよい気がしました。参考になるところがあるかもしれません。まだごく一部しか読んでいませんから、アテにならない現時点での印象ですが、いくつか記しておきましょう。
まず「体言」と「用言」の説明を見てみました。これでこの本のありようがわかります。形容詞の項目の最後の149頁に「体言と用言」という小見出しがありました。説明が8行です。300頁の本ですから、ずいぶん後ろに置かれていて軽視されています。
2 一般向けではない本
では解説はどうでしょうか。まず[名詞を体言、動詞と形容詞を用言、副詞を副用言とする性格づけが以前からおこなわれてきた]と経緯を記しています。さらに[体言は、ものをあらわし][曲用して、主語や補語になる単語]という説明になっていました。
曲用という用語がありますから、一般向けの本ではありません。「語形変化のうち名詞などが性・数・格といった文法カテゴリーに対応して変化するもの」を曲用と言うようです。日本語の名詞の解説をするときに、ぴたっといく言葉なのか微妙な感じがします。
[用言は、体言の表すものの属性を表し、活用して、述語になる単語]とのこと。活用の有無での判別法は明示されていません。形容詞とは[名詞でしめされるものやことがらの、性質や状態などを表す単語の種類]とのこと。各概念の意味を重視した解説です。
3 参考書となる本
この本では、形容動詞は形容詞に含まれると考えています。[品詞を性格づける基準である、①語彙的な意味、②文論的・連語論的な働き、③形態論的なカテゴリー(語形変化のわくぐみ)が共通]だからとのことです。動詞の活用形の違いと同じ様に扱われます。
「語彙的な意味」が共通といわれても、明快な感じがしません。文論的とはシンタックスのことのようですが、「文論的・連語論的」も概念がわかりにくい言葉です。形態論的も、何となくわかるといった程度。3つが共通と言われても戸惑います。
明確な解説をしようとすれば、何らかの判別式を示す必要があるはずです。しかし、そうした意識を持った解説があるようには思えません。一般人が、読み書きに役立てようとして読む本とは別の種類の本のようです。専門家や業界向きの本という感じがします。
一言で言えば、シンプルではないということです。全体が統合されていて、中核部分を明確な基準で示すという構成ではありません。どう説明されているのかを調べるための参考書という感じの本です。そちらの用途で、これからも使っていけると思っています。